しばらくして亘が落ち着いて泣き止んでちょっと照れくさそうに美鶴からそっと離れた時美鶴は亘を見つめながらやさしい声で唐突な質問をした。
「・・・亘、幻界にいたとき結婚式を見たことあるか?」
「結婚式?」
その唐突な質問に亘は目をぱちくりとさせた。美鶴の口から幻界の単語が出たことにも正直驚いたが更に結婚式を見たことがあるかなんて。
「・・・ううん。ないよ。・・そういえば。・・結婚式なんて一度も見なかったなぁ」
亘は既に遠くなりつつある幻界の記憶をたどってみた。長い旅をキ・キーマやミーナ達としてたくさんのヴィジョンの町や都市に行ってたくさんの種族の人々に会ったけれど、そういえば結婚式の場面になんて一度も出会わなかったな。
「・・俺はあるんだ。一度だけ。・・・小さな村の、ささやかな式だった。見たのはそれ一度きりだけど・・よく覚えてるよ」
かすかに目を伏せ、その時の状況を自分の中に少しでもはっきりと再現しようと努力するかのように静かに話す美鶴を亘は黙って見つめていた。そして知らず口に出していた。
「ヴィジョンの結婚式って・・・どんなの?誓いの言葉とか・・あるの?」
本来なら美鶴にとっては悪しき思い出しかないはずのヴィジョンの話しを続けたりしない。
けれど結婚式という内容に興味を少し引かれたのと美鶴から言い始めた事なのとで亘は素直に問い掛けていた。
美鶴は顔を上げゆっくりと亘の方を見た。そして恭しく亘の片手を取るとそっとその足元に跪いた。空いた手を自分の心臓の上にあて瞳を閉じ、亘の手の甲に触れるか触れないかに自分の唇を寄せて、そして聞いたこともないような厳粛な声で、誓いを立てるときの密やかな甘さを持った声で・・・歌うように囁いた。
「・・・我、幻界の女神の名にかけて誓う。星の静寂(しじま)より永久に。千年の時が過ぎるともあなたと共にあることを。高き天が裂け、広き地が波打ち、深き海が涸れはてようとも。愛するヒトの子よ。共にあることを。」
美鶴の唇がそっと手の甲に触れた。暖かい感触が伝わってきた。
「たとえ死して離れようとも・・・ヴェスナ・エスタ・ホリシア・・・我が魂はあなたと共にあることを・・・誓う」
あ・・・・
・・・その言葉・・・その、祈りは・・・
それは・・・自分が愛する人に誓いを立てるときにも・・・使われる言葉・・だったんだ・・・
跪いたまま美鶴が顔を上げる。まだ亘の片手を取ったまま微笑んだ。亘は大きく目を瞬かせる。
その微笑が今まで見たどんな微笑よりきれいでそして限りなくやさしい瞳をしていたから。
・・けれど限りなく切ない瞳だったから。
忠誠を誓う騎士が自分にとって唯一人の愛する姫にまるで自分の愛の許しを乞うように。
どうか我が愛を受け入れて欲しいと・・・希うような・・・切ない切ない色を・・していたから。
「え、あ・・・」
亘はどぎまぎとしてしまった。なんと返せばいいのかわからずまた咄嗟に問いかけていた。
「え、えと。そ、それで相手はどう返すの?」
「相手は・・イエスの返事をして同じく跪いて・・・」美鶴はふと顔をうつむかせたかと思うといきなり亘の手をグイッと乱暴に引いた。「わぁっ?」
バランスを崩した亘が美鶴の腕の中に倒れこむ。美鶴は今度はちょっと意地の悪い微笑を浮かべるとわざと耳元で囁いた。
「・・・当然。誓いのキス、だろ?」
「~~~~~~~~!!!」
亘は真っ赤になるとジタバタと美鶴の腕の中で暴れた。「美鶴っ!!」
「冗談だよ」
今度は軽い笑いを浮かべながら美鶴は亘を腕の中から解放する。そして急に真剣な表情になって真っ赤になった亘の方に向き直った。
「・・亘がいやならもう、抱きつくのはやめる。・・もう、しないよ」
「・・・え」
亘は弾かれたように顔を上げ美鶴を見た。ちょっと辛そうにしながらもそれでもきっぱりとした声で美鶴は続けた。
「今まで俺も・・亘に甘えすぎてたと思う。自分でもそう思ってた。・・ごめん。でもなかなか止めれなかったんだ」
毎日毎日いくら大切な相手とはいえ、心音を聞かずにはいられないなんて。
宮原から指摘されるまでもなく傍から見れば随分おかしな事だという事くらい美鶴にも良くわかっていた。
でもせずにはいられなかった。確かめずにはいられなかった。それを確かめないと本当にそこに亘がいるのか。
・・・本当に自分の傍に存在しているのか。美鶴は不安で不安で・・たまらなかったから。
亘はなにも言わなかった。いえなかった。その行為が嫌になったわけではないのだ。無理に止めたいわけでもない。
でもこのまま続けていい事のようにもやはり思えなかった。美鶴は亘の頬にそっと手を伸ばす。そして優しく撫でながら呟いた。
「亘はさっき・・言ってくれただろ。俺のいるところに、俺の傍に必ず自分はいるから。存在してるからって」
亘は美鶴を見つめ返す。泣きたいような気持になりながらそれでもグッと唇を引き結び黙って美鶴の言葉を聞いていた。
「それに・・・」
伝えてくれるから。亘はいつも伝えてくれるから。さっきのように。あの時のように。大切な言葉を。
何よりも聞きたい言葉を。
だから。
俺はそれで生きていける・・・
たとえどんなに自分に背負わなければならない重荷があったとしても。自分の中に押し潰されそうなほどの大きな暗闇が在ったとしても。
それでも生きていける。
亘がくれたたった一つの光があるから。亘のくれた言葉があるから・・・俺はこれからも生きていける。
・・・生きていけるんだ。
美鶴はコツンと自分の額を亘の額に寄せた。
そして間近に亘の瞳を覗き込みながら決心したように話し始めた。
「俺・・・しばらく高校に休学届を出して向こうの大学を見てこようかと思ってる・・・」
「え・・・」
「医大に行きたいと言っても俺も漠然と思ってるだけだし、現実的なことは何も知らない。だから自分が本当に学びたいことはなんなのか実際に自分の目で見て確かめて決めたいと思ってる。だからそのためにも今、最先端の医学を教えてる大学を見て来ようと思ってるんだ」
「じゃあ・・向こうって・・・」
「アメリカのほう・・」
「・・・いつから?」
「学年が上がる前に行きたいと思ってる。・・・ひと月くらい。そしてもし条件があって状況が許せばそのまま入学できればとも思ってる・・」
「・・・・・」
向こうは優秀な生徒なら途中入学でも飛び級でも何でもいくらでもそう言った手立ては在るのだろう。今の高校で全校一頭の良い美鶴なら多分それは間違いなくかなう現実のはずだ。亘はゆっくり立ち上がった。
「・・・・怒ったか?」亘を見上げながら美鶴はちょっと辛そうに不安そうに尋ねた。
亘は静かに首を左右に振った。もう歩み始めてる美鶴に自分が言うべき言葉は何もないような気がした。
今、自分がしなければならないのは美鶴に遅れをとらないよう歩み始める事だけだ。
一番大切な言葉はもう告げているのだ。だったら・・・次に亘がとるべき事は「行動」だ。
「怒ってるって言うより・・・正直すごく寂しい。・・美鶴がどんどん自分の道を進み始めてるのがわかったから・・・」
だけど。
当然のことなんだ。いつか必ず来るべき事だったんだ。なぜなら僕らは大人になる。大人になってゆく。
何時までも子供のようにじゃれあって、抱き合っているわけにはいかない・・・大人に・・なるのだから。
「僕はまだ自分の進む道さえ見えてない」
少し悲しげな声を出しながらもそれでももう亘は涙は流さなかった。
その瞳にはこれからまだ漠然としてはいるけれど、己の道を進む事を決意した強い光が宿っていた。
家族を失いそうになり、一人でヴィジョンに旅立とうとしたあの時の・・ヴィジョンが魔族に襲われ崩壊しそうになったとき女神に自分の決意を話したあの時と・・・同じ光を宿していた。
亘はまっすぐ美鶴を見つめ、自分から両手を伸ばしニッコリ微笑むと優しく・・美鶴を抱きしめた。
「これが最後・・・」
抱きしめる手に力をこめてそして跪いていた体を自分から少しずらして美鶴の耳に胸を当てて。
「これが最後にしよう。・・・美鶴。この音が僕のいる証だよ。僕が生きて今ここにいる証。・・・忘れないで」
その言葉を聞きながら美鶴はそっと目を閉じる。そして耳を澄ませる。その音に。その音色に。
今まで聞いたどんな時よりその音色は優しく響いて・・優しく甘く柔らかく・・・美鶴の全てを包みこんだ・・
「亘」
「うん」
「亘・・・」
「うん・・」
もし、いま誓えるのなら誓いたい。さっきの祈りが例え愛し合う男女の結婚の祈りだったとしても、その言葉が愛する者に誓う言葉であるならば美鶴はきっと自分の魂をかけてその祈りを亘に捧げるだろう。
恋愛ではなく友情でもなく、ただ「愛してる」という想いひとつでいいのなら。何よりも強いその想いでいいのなら。
俺は・・・その言葉を・・その祈りを誰よりも亘に捧げたい・・・
「亘・・わたる・・」
「うん・・・ん・・」
何千回何万回呼んだとしても呼び足りない愛しい愛しいその名を美鶴は呼びつづけ、亘もそれに静かに応えていた。
いつまでもいつまでも。
亘のマンションからの帰り道を美鶴はゆっくりとした足取りで歩いていた。
日はもうすっかりと暮れ、星が瞬き始め少し肌寒さを感じた。
けれど美鶴の心の中は暖かなぬくもりが溢れていた。
まだ自分の耳に優しい音色が残っている。両の手に亘の暖かなぬくもりが残っていた。
ふと足を止め、自分の背後に近づいた気配に美鶴は耳をそばだてる。
自分の中のぬくもりを全て奪われるような冷たさを感じて思わず気配のした方を振り向いた。
(離れてしまって・・・それでもまだワタルが側にいてくれると思ってるんだ?)
美鶴は目を見開いた。街頭の明かりしかない暗い道路に確かに立っているソイツを見つけて。
(離れたらもう終わりだろ?どうして何時までもワタルが側にいてくれると思えるんだ?
・・・ワタルのいってくれた言葉があるから?)
うつむいたままソイツはニヤリと笑う。
(そんなのわからない。そんなのはお前の勝手な思い込みだよ・・・離れてしまえばもう終わりだ)
「お前・・・」
星の瞬きだけが見ている中、いま美鶴と黒いミツルはお互いを・・・ただ見つめていた。
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