「あれ?」
日曜日の正午過ぎ。
図書館から家に戻って来て宮原は自分の家の前に立っている人物を見て意外そうな声を上げた。
そして小走りに駆け寄ると声をかけた。
「芦川」
美鶴はゆっくり顔を上げると宮原を見た。そしてちょっとホッとしたように息をつく。
「めずらしいな。どうしたんだよ?」
「ちょっと話したいんだ・・・出れないか?」
宮原は目を瞬かせた。今までこんな風に美鶴が自分のうちに来たり、外出に誘って来たことなんて一度もない。
美鶴のいつもとはまるで違う何か考え込んでいるような雰囲気から勘のいい宮原はこれは亘と何かあったんだな、と瞬時に思った。
「いいよ。・・・静かなところがいいよな。・・・ん、すぐそこの公園がいいな。行こう」
宮原は家の近くにある小さな公園に美鶴を誘った。遊具がふたつ、みっつあるくらいの公園で普段から人はほとんどいない。
そこのブランコをベンチ代わりにして腰掛けた。宮原が入り口近くにある自販機で缶コーヒを買ってきて美鶴に渡した。
「飲む?」
「・・・サンキュ」
美鶴は宮原の方を見ないままコーヒーだけ受け取った。けれど飲む気配はない。宮原は自分の分を開けると静かに口に含んだ。
ゆらゆらとブランコを揺らしながら美鶴が話し始めるのを待った。
「・・・前、宮原言ったよな」
「え?」
宮原に話すというよりは誰ともなしに話し掛けていると言った口調で唐突に美鶴は言った。
「・・・俺と亘が一緒にいるのを見てるとなんか辛いって・・二人一緒にいるほうがなぜかせつなく感じるって・・・言ってただろ?」
「・・・ああ」宮原は頷いた。少し前の記憶を掘り起こす。美鶴に医大のカタログを届けに言った時の事だ。
「・・・なんでだ?」
「なんでって・・・」
宮原は困ってしまった。あの時は思いついたことを思わずそのまま口に出してしまっただけなのだ。
何がどうだから、という明確な理由があって言った訳ではなかった。問い詰めるようにこちらを見る美鶴に宮原は口篭もる。
美鶴は自分もゆっくりと足でブランコをこぎ始めると前を見ながらまた話し始める。
「・・・多分、宮原がいってたことが当たってたからだろうな」
「俺の言ったこと?」
宮原はきょとんとした声を出した。なんだ?俺はまだほかに何か言ったんだっけか?
あまりに真剣な美鶴の声に宮原は自分は何を言ったんだったろうかと不安になりながらも、美鶴の次の言葉を待った。
「俺が亘に欲情してるんじゃないかっていっただろ?」
ブハッッ!!
口に含んでいたコーヒーを宮原は思い切り吹き出した。そういえば確かに宮原のいった言葉からそんな話になった。
だがまさか今それが出てくるとは思いもしなかった為、宮原はむせ返りながらも必死に言葉を出す。
「な、なに・・・それ・・は、そうじゃ・・ないって・・そんなんじゃ、ないって・・・芦川・・・自分でいったじゃ・・・ないか」
真っ赤になって咳き込みながら宮原はやっと言った。
美鶴はそれを見て口元だけ少し微笑ませながらあっさりと続ける。
「嘘だったからさ」
「・・・へ?」
「少なくとも・・自分の奥底にその思いはあったからさ。・・・自分では気付かなかったけど、でも存在してた。・・・俺は亘に対して欲望を抱いてるんだよ。・・・だから宮原にいった言葉は嘘だったことになる」
自分の事を話しているはずなのにまるで第三者の話を客観的に述べるかのように美鶴は淡々としゃべる。
「宮原に漠然とはいえ、そう感じさせるものがあったってのに当人が気付いてないんだから世話ないな」
宮原はただ黙って美鶴の言葉を聞いていた。美鶴らしからぬ少し自嘲の含まれた声になんと答えていいのかわからなかったのだ。
「せつなそうに見えて・・辛そうに見えて当然だよな。・・・二人のうちの片方が本当はその相手が欲しくて欲しくて堪らなくて下手すれば気が狂いそうな想いを持ってるんだから」
過激な美鶴の物言いに・・・でも宮原は今回は臆さなかった。
その言い方が・・・美鶴のその話し方が・・どう考えても本心の言葉とは思えなかったからだ。
何か無理に自分にそう思い込ませようとしているような、そんな感じを受けた。
「三谷と何かあったのか?・・・」
美鶴はブランコを漕ぐ足を止める。黙ったままかすかに首を左右に振った。
宮原は確信する。芦川らしくない。これはいつもの芦川美鶴らしくない。まるで子供がわからない問題の答えを待つような。
でもそんなのは芦川じゃないだろう。
「俺が言ったのは・・・芦川だけがつらそうだ、とか・・二人が辛そうだ、とか言う意味じゃなかったんだよ。・・・なんて言えばいいのかな。お前らを見てると・・・見てる方が・・・だからこの場合は俺になるわけだけど。
・・・こっちがせつなくなるって言うか。・・・だから、要するにさ。・・・くそっ・・どう言やいいんだ?」
宮原は髪をぐしゃぐしゃとやりながら必死に言葉を探した。いつもの頭の回転のすばやさが今日はさっぱりだ。
「・・・芦川言っただろ。三谷は恋人じゃないって。・・・そういうんじゃないってあの時。・・・だからさ。そうだとしたら・・いくら仲良くたって・・・いくら親友だっていつまでも一緒にいられるわけじゃないだろ?
だってそうだろ?死ぬまで一緒なわけじゃないだろ?だからそれはつまりさ・・」
ふいに宮原は電気に撃たれたように自分が気付いたその考えに目を大きく見開いて動きを止めて、言葉を切った。
ああそうか。わかった。今その問題の答えがようやく解けた、というように思わず美鶴を振り返った。
美鶴は宮原がその答えを述べるのがわかっていたように静かに顎をしゃくって話しの続きを促す。
「・・芦川・・おまえ・・」
そしてブランコから立ち上がり、美鶴のすぐ傍に立った。そして言った。答えを告げた。
「・・・ずっと?ずっとずっと・・・永久に?それが欲しいのか?・・・芦川、三谷にそれを求めてるのか?・・」
前を見たまま・・・ひと筋の風に髪をなびかせながら美鶴はゆっくりとゆっくりと・・頷いた。
もう、せつないとか辛そうとか言う問題を遥かに超えているだろう。
宮原はわかった。どうして美鶴と亘が共にいるのを見てせつなさを感じたのか。いつも楽しそうに幸せそうに二人でいるのになにか辛そうなものを感じるのはどうしてなのか・・・やっとわかった。
在り得ない事を美鶴が求めていたからだ。美鶴がかなわない望みを・・おそらくずっと・・亘に対して抱いていたからだ。
永遠に。
ずっとずっとずっとずっとずっと。
その言葉をおそらく何千回何万回美鶴は唱えていたのだろう。誰に知られることもなく。亘と出会った時からきっと。ずっと。
傍にいたい。傍にいて。離れないで。離れないで。僕の傍からいなくならないで。
永遠に。永久に。どうかどうか。・・・・傍にいて・・・
まるで幼い子供が・・いまだけしか出会うことの出来ない妖精に。自分にしか見ることの出来ない妖精に。
いなくならないでとお願いするように。
消えないで、と・・・願うように。
それは・・・決してかなうことのない願い。
・・・手に入れることは出来ない約束・・・せつない・・祈り・・
「芦川・・・」
でも、それを思うことは悪いことではないだろう?
だって誰だって愛しいヒトにはずっとずっと傍にいて欲しい。そう考えるのは当たり前の事だ。
それをそっと願うことが。
自分ひとりがささやかに望むことが・・いけない訳ないよ。
・・・例えかなわないことだとしても。
「・・・それが根底にある限り、俺の奥底から亘に対する欲望が消えることもないんだ」
宮原は弾かれたように顔を上げる。自分の考えをまるで読み取っていたかのような美鶴の言葉にハッとする。
「いつまでも傍にいて欲しいなんて、聞くだけならまるで映画のセリフみたいで女の子ならうっとりするんだろうけどな。・・・相手のその裏の気持も考えずに。・・・要するに縛り付けてるだけなのに。その言葉で足枷をはめてがんじがらめにしてるだけなのに」
美辞麗句で飾り立てた言葉の裏にあるものはどうしようもないほどの激しい独占欲だ。
そしてそれは自分の負の感情。黒い欲望から出てきているものだ。黒いミツルが現れて美鶴はそのことを知った。
傍にいて欲しい。そして亘は必ず傍にいると言った。でもそれは裏を返せば傍にいなければ許さないということだ。
そして仮にもし亘が自分の傍にいることを望まなくなった時・・その時・・美鶴は亘に対して本当に何をしてしまうかわからない・・
ミツルが現れたことで・・・美鶴はそれを、・・思い知った。
「芦川・・・」
宮原は言葉を切る。何かを言わなければと思うのに何を言えばいいのか皆目見当もつかず、目を伏せた。
「宮原・・」
美鶴がふっと息をついて小さな声で呟いた。・・すぐ傍にいた宮原にもたれ掛りながら本当に小さな声で呟いた。
「・・苦しいよ」
その声に、初めて聞くその美鶴の心底苦しそうなその声に。子供のようなその声に。
──おそらく美鶴は亘以外に一生こんな弱みを見せたくはなかった筈だ──宮原は叫んでいた。思わず知らず叫んでいた。
「・・言わなきゃダメだ!芦川。・・・三谷に。ちゃんと言わなきゃダメだよ!」
もたれさせていた頭を宮原から離して顔を上げると美鶴は苦々しく微笑みながら言った。
「何を?俺は亘に欲情してるって?本当は抱きたいぐらい亘に独占欲を持ってるんだって?」
その言葉にさすがに少し顔を赤くしながらも、でも宮原はひるまずに言った。ここで軽口に流されてごまかされてはいけない。
芦川はきっと俺からこの言葉が聞きたくて来たに違いないんだから。宮原は美鶴の肩をつかんで強い口調で言った。
「そういう想いを持つ自分でもあるって事をだよ。・・・負の感情も・・弱い想いも・・持つ芦川がいるって事をだよ!・・三谷がそれを聞いてどう思うかそれは、わからない。・・でも受け止めて欲しいなら。この先本当に三谷と離れたくないならその、芦川が持ってる感情を、本当の想いを全部三谷に見せなきゃダメだ!ぶつけなきゃダメだ!」
美鶴は自分の肩を掴んでる宮原の手を振り解くと立ち上がって叫んだ。
「それで?!それでどうするんだ?それで亘が俺の前から消えたら?・・・想いを無理やりぶつけて亘をメチャクチャにしてしまったら?!・・・どうするんだよっ!!」
美鶴は顔を伏せたまま両手を握り締めて立ち尽くす。宮原は悲しそうな顔でそんな美鶴をじっと見るしかなかった。
いくら自分の言ったことが正しいと思っても今、美鶴が言った言葉に反論することはひとつも出来なかったから。
キィキィと揺れるブランコだけが音を立てている。
もう日はとっくに暮れて二人の足元には街灯が作る濃い長い影が出来ていた。
「・・・俺、3日後にアメリカに行くよ」
唐突な話しに宮原は目を見開く。前から考えていた留学の話しだろう。こんな急に決めてたのか。
「・・・たぶん、しばらくこっちに帰ってこない」
「・・・三谷は?」
「知ってる・・」
「芦川・・」
美鶴はくるりと踵を返すと手にしていた缶コーヒーを開けて一息に飲み干した。そして宮原の方を振り向くと微笑んだ。
「・・・サンキュ。・・今度会った時は俺がおごる」
宮原の傍を横切って公園の出口へと美鶴は向かいながら聞こえないような小さな声で礼の言葉を述べた。
サンキュ・・・宮原・・悪かったな。・・・でも、聞いてくれて・・・サンキュ・・
「言わなきゃダメだ・・・芦川!」
もうとっくに消えた美鶴の後姿に向かって自分の無力さを噛み締めながら宮原は叫んでいた。
そして翌々日。宮原はじりじりと学校で放課後を来るのを待ち、終業と同時に学校を飛び出して亘のもとに走っていた。
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