「亘くん!」
一週間分の食材の買出しにスーパーに行こうと道を歩いていた亘は自分を呼ぶ声に振り返る。
車道をはさんで向こうの道路で大きくこちらに手を振っている美鶴の叔母が見えた。
亘は横断歩道が青になるのを待って向こうに渡った。
「こんにちは。美鶴の叔母さん!」
「もう~!叔母さんって呼ばないでっていってるでしょ・・・て、まぁ仕方ないわよね」
お互い顔を見合わせてクスリと笑う。
「夕飯のお買い物?」
「そうです。まぁ僕がたいてい土曜日に一週間分まとめて買うんですけど
・・・平日は学校あるし、お母さん仕事だし」
肩をすくめて亘は笑った。美鶴の叔母もそれを見てまた微笑みながら
「よーし!じゃぁ勤労少年亘くんに今日はお姉さんが何かおごってあげましょう」
と亘の手をつかんでぐいぐい引っ張っていく。
「ええっ?い、いいですよ。そんな・・・」
「いいじゃない。たまには。美鶴ってこういうのまるっきり付き合ってくれないんだもの。つまんないったらありゃしないわ。せっかくの休みの土曜なのに、アヤはお友達と出かけちゃうし。・・・こうやって叔母なんてだんだん疎ましがられていくのね」
大げさにため息をつく叔母に亘は苦笑しながらいうことを聞く事にした。
最近流行のしゃれたカフェにはいると叔母はケーキセットを二つ注文した。
「美鶴は甘い物ダメだからこんなとこ絶対来ないのよね」
「・・・そういえば美鶴と喫茶店とか行った事ってあんまりないなぁ・・」
「コーヒーも家で自分で落して入れて飲む方が好きみたい。・・・なんか親父くさいのよ」
叔母のそのセリフに亘は思わず吹き出す。確かに。
美鶴の艶やかな容姿にみんな騙されるけれど実は彼はとても年齢にふさわしい少年とはいえない部分を多々持っている。
一般の若い子なら興味を持つようなイベント事にもほとんど興味を示さないし、実を言うと携帯も持っていない。
これには亘も困ったことがあり、再三携帯を持つよう言ったのだがそのうちな、というだけで結局いまだ持たずじまいだった。
亘が半分怒りながら問いただすとメールが嫌いなのだとポツリと言った。
─字だけってのが嫌なんだ。俺は声が聞きたいから─
亘の目をまっすぐ見て真剣に言うものだから亘もそれ以上は何もいえなくなってしまった。
確かに・・・携帯があればあったで・・ついついメールで用事を済ませてお互いの声を聞く事が減るのかもしれない。
それはそれで・・・ちょっと寂しい・・・かな?
でも良く考えたら同じ高校なんだし、ほとんど毎日顔を合わせているのだが。
「美鶴ってば何か話すとしたら亘くんの事だしね」
え?と思わず顔を上げる亘に意味ありげに叔母は笑った。
「自分の事は話さないくせに亘くんの事は話すのよ。嬉しそうに」
亘は顔を赤くして俯く。叔母の言葉に深い意味はないはずなのになんだか恥ずかしくていたたまれない。
そこにケーキと紅茶が運ばれてきた。ゆっくりティーカップを口に運びながら叔母は呟いた。
「亘くんがいなかったら・・・美鶴どうなってたのかな?・・・」
そしてカップを置いて片手で頬杖をつき、亘を見てふわりと笑いながら言った。
「美鶴と友達になってくれて・・・ありがとうね」
その微笑に今度は本当に照れくさくなって亘は下を向く。返す言葉が思いつかなくて慌てて紅茶を口に運んだ。
「でもあれはやめた方がいいと思うわよ」
「え?」
あれ?あれとは?
「美鶴に抱きつかせるの。・・・あれはそろそろやめた方がいいと思うわよ」
ブハッ!!
亘は飲んでいた紅茶を思い切り吹き出してしまった。
「やだっ・・大丈夫?」
「だ大丈・・夫・・えええっ?て、あのあの・・その!・・・ししし知ってたんですかっ?!」
「え?知らないと思ってたの?アヤだって知ってるわよ」
ガガガーーーン!!
亘はさすがに眩暈がした。してる行為が行為なだけに思い切り気を使ってるつもりでいたのに!
「あ、あの!あれはですね!・・ち、違うんです。あのっ!別に変なことしてるわけじゃなくって、その・・小さい子を宥めてるのと変わらないというか・・・よしよしって頭を撫でるのとそう変わらないというか・・」
しどろもどろになってワタワタと話す亘に叔母は吹き出した。
「落ち着いて。大丈夫大丈夫。わかってるわよ。だって一度美鶴に直接聞いた事あるから」
「え?」
「美鶴は良くたって亘くんに迷惑だったら困ると思って何のつもりであんなことしてるのか聞いたのよ。そしたらアイツは悪びれもせずこう言ったわよ」
─そこにほんとに亘がいるのか不安だから・・・確かめたいだけだ─
「・・・・・・」
叔母は再び紅茶を口に含みながらまた意味ありげな笑いを浮かべて今度はちょっとせつなそうな声で言った。
「まったく・・・本当に甘えん坊で困っちゃうわよね」
そしてフォークでケーキをつつきながら囁いた。
「亘くんに対してだけはね」
・・・亘はなんと言えばいいのかわからない。嬉しいようなせつないような・・・そんな感情がない交ぜになっていた。
「でもね」
一転はっきりとした少し強い口調で叔母は話しはじめた。
「亘くんには亘くんの道があって美鶴には美鶴の行く道があるんだから・・・何時までも二人一緒なわけじゃ、ないんだから・・・・何かあっても亘くんは気にしなくていいのよ」
亘はハッとして顔を上げる。美鶴の叔母がまっすぐ自分を見ていた。亘は思わず問い掛けた。
「叔母さん・・・叔母さんは・・美鶴が医大に行きたいって話・・知ってるん、ですか?」
「ちょっとね。だって美鶴高校卒業したら私のところ出るって言ったから」
亘は目を見開く。ケーキを食べながら叔母は続けた。
「大学まで面倒見てもらうわけに行かないって・・・高校を卒業したら・・アヤと二人でうちを出るつもりなのよ」
フォークを持つ手を止めて寂しそうに叔母は紅茶を口にした。
美鶴は・・・そこまで、そこまで先の事をもう・・考えているんだ。
自分の行く道を・・自分の歩む道を決めているのだ。
今度は亘が寂しい気持ちになる。取り残されたような・・・置いていかれたような・・そんな気持ちだった。
そして聞くともなくポツリと呟いた。
「どうして・・・医大なのかな・・」
「知らないの?」
「つい、最近まで・・美鶴が医大に行きたい事も知らなかったんです」
亘は素直に言った。
そうだったの?という顔を叔母がした。亘がそれを知らなかったのがさも意外と言った表情だった。
宮原も叔母さんも知ってたのに・・・僕だけ知らなかったんだ・・・
「良くわからないけど・・今度は人の命を助ける側にまわりたい・・って言ってたわよ。今度はって何よ、てきいたら黙ってたんだけどね」
「・・・・・・・」
・・・・ああそうか。美鶴・・・そういうことなんだ・・・そういうことなんだね・・・
わかってなかった・・・そんなことにも気づいてなかった。
誰よりもそばにいたつもりでいたのに・・・僕は美鶴のそんな思いに気づいてあげる事も出来てなかったんだ・・・
冷えた紅茶を亘はそっと口に含んだ。
「ご馳走様でした」
「どういたしまして。この後美鶴と会うの?」
「はい。僕んちで一緒に課題することになってるんです」
カフェを後にしながら叔母は颯爽と髪をなびかせ、先を歩く。「じゃあ。私はこの後一人寂しくショッピングでもするわ」
そう言って笑いながら亘に手を振った。その去ってゆく後姿を見て亘は思わず声をかけた。
「あのっ・・・」
叔母がこちらを振り向く。
「美鶴が叔母さんの家を出たいのは・・・ほんとに叔母さんにこれ以上迷惑かけたくないからだと・・・思います。美鶴・・口に出して言えるタイプじゃないから・・・わからないときもあるけど・・・叔母さんの事・・・ほんとに大好きで・・・大切なんです・・・」
コクンと首を傾けて見とれるような微笑を叔母は浮かべた。
うん。大丈夫。わかってるわよ。微笑む瞳がそう言っていた。
マンションに着くと亘の部屋の玄関の前でジャケットのポケットに手を突っ込んで待っている美鶴がいた。
亘に気づくと駆け寄り亘の両手に大量に抱えられていたスーパーの袋を苦笑しながら半分持った。
「相変わらずすごい量だな」
「一週間分だもん。仕方ないだろ」
そう言って鍵を取り出し中に入る。二人でキッチンに行って荷物を置いた。
荷物を置くのと同時に美鶴の手が亘の肩に伸びてきた。亘はハッとして自分を抱きしめようとする美鶴の両手を慌ててつかむ。
「美鶴・・まって」そして真剣な声で言った。まっすぐな視線に美鶴も動きを止める。
「耳・・耳だけ当てて。・・・音だけ聞いて」
美鶴の両手を封じたまま亘は言った。美鶴は怪訝な顔をする。
けれどいつもと違う何かを感じたのかおとなしく亘の胸に耳を当てて心音を聞いた。
「聞こえるだろ?・・・」
亘はゆっくり美鶴の両手を離した。そしてそっと美鶴の頭に手をのせて優しくなでた。
「美鶴・・・僕はいるから」
美鶴は顔を上げて亘を見た。
「必ずここにいるから。今美鶴のいるところに必ず僕は存在してるから。・・・美鶴の側にいるから」
だから・・・不安にならないで。そんなせつない想いを常に持っていないで・・・
「だから・・・だから美鶴・・・僕は・・・ぼく・・は」
なぜだか亘は涙が出てきた。周りから見れば美鶴がどんなにか亘を必要としてどんなにか甘えているように見えるのだろう。
でも違う。
違うよ。
本当に必要なのは僕の方だ。いつも美鶴においていかれるんじゃないか。取り残されるんじゃないかと・・・
不安に思っているのは・・・本当は僕の・・ほうなんだ。
「亘?・・・」
ポロポロと涙を流し始めた亘を美鶴は心配そうに覗き込む。
「美鶴が好き・・・」
美鶴は目を瞬いた。手を伸ばし亘のこぼれる涙をそっと優しくぬぐった。
「亘・・」
「・・美鶴が好き・・大好き、だから・・・」
幻界から二人戻って・・・只一緒にいられるのを・・喜んでいればいい訳ではもう、ないのだと亘は感じた。
美鶴は進もうとしている。
自分が幻界で犯した過ち。犯した罪を受け止めて。この現世で自分が何をなすべきかを決めたのだ。
でも自分は?自分はどうなんだ?
もちろん幻界での出来事を亘もしっかりと受け止めて精一杯毎日を過ごしてきたつもりだった。
その想いが今の自分を作っているのは確かだった。
けれど・・・進むべき道まで見えたわけではない。このままでは美鶴との距離は開くばかりだろう。
ずっと一緒にいられるわけじゃない。何時までもすぐ側にいられるわけじゃない。
だからこそ・・・だからこそ。何時までも共に在るために。
自分が進まなければいけない。二人で進まなければならない。
「美鶴が好き・・」
あふれる涙を止める事が出来ず今は只、その言葉しか繰り返すことの出来ない亘の肩に手を回しおそらく亘以外の誰も見たことのない、これ以上ないくらいの優しい微笑を美鶴は浮かべて。
美鶴は亘が泣き止むまでずっと亘を抱きしめていた。
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