銀の降る夜、歌う鳥
その日。亘は何の連絡もなくいきなり学校を休んだ。
年が明けたら受験はもう目の前という中学三年の冬。
誰もがちょっと無理をはじめる時期だった。
しかもこの2、3日は例年にないくらい寒い日が続いていた。
待ち合わせの場所にいつもの時間になっても現れない亘に美鶴はそういや、昨日少しいやな咳をしていたなと思い出す。
おそらく風邪を引いたのだろうと先に学校に行って念のため亘のクラスをのぞいて見たがやはり姿はなかった。
(風邪確定だな)
美鶴は確信すると帰りドラッグストアで何を買っていこうかと思案してその日一日の授業を終えた。
学生服姿にマフラーで首をスッポリ覆いながら美鶴はドラッグストアに向かう。ちなみにそのマフラーはアヤが編んだもので配色がなかなかにすごかった。ピンクに緑に白が交互に編みこまれたストライプ模様。でも美鶴は喜んでどこにでもしていった。
ものすごい美少年がものすごいマフラーをして歩いているので巷の界隈ではちょっとした評判になっていたのだがもちろん美鶴はそんなことは知らない。
ドラッグストアでスポーツドリンクやら冷えピタやら後軽く食べられそうなヨーグルトやゼリーを買って足早に亘の家へ向かった。
家に着いてすぐ美鶴は合鍵を出す。呼び鈴を鳴らしても出て来れるとは思わなかったし、亘の母から何かあったときの為とひとつ貰ってあったのだ。実際使う事が余りあるとは思えず普段は持ち歩いてなかったのだが、今日は虫の知らせなのか。
たまたま持って出てきていた。
カチャリ。
ゆっくりとドアノブを回し中に入る。玄関を見渡すと亘の靴があった。母親の方はない。
美鶴はリビングを抜けて静かに亘の部屋へ向かう。
そっとドアを開けて中をのぞきこむ。案の定ベッドの上でグッタリしている亘がいた。
マフラーをはずし、買ってきたものを亘の勉強机の上におく。遅くまで勉強してたのか。参考書や問題集が乱雑に広がっていた。
「亘・・・」
小さな声で呼びかけながら、そっとそのおでこに手をあてた。熱い。熱はかなり高そうだ。
「・・・え?・・・あれぇ・・・美鶴?・・・」
毛布の中で軽く身じろぎしながら亘は目をあけ、美鶴を見て声を出した。
「・・・大丈夫か?・・・いつからだ?」
ベッドに腰掛け、買い物袋から冷えピタを出しながら美鶴が聞いた。このぶんなら何も口にしてなさそうだとスポーツドリンクも出して渡す。
体を少しおこしてそれを受け取り口に含みながら亘は答えた。
「ありがと・・・うん・・・今日の朝・・・かな。起きたときからちょっと調子悪かったんだけど・・お母さん先に仕事に送り出して・・・僕も出ようかな、と思ったらなんかクラッと来て・・・」
「おばさんに言わなかったのか?」
「だって・・僕のせいで仕事やすませる訳に行かないし・・・心配かけたくなかったしさ・・・」
美鶴は小さなため息をつくと亘のおでこに冷えピタを貼る。そしてヨーグルトを出して渡した。
「なにも食べてないんだろ。少し食べたほうがいい。」
「う~・・・あまり食欲ないんだけどな・・・」
「文句言うな。脱水症状起こすぞ。あと汗だらけだろ。食べたら着替えろ。それから熱計るぞ。」
テキパキと指示を出す美鶴に文句を言いたくても今の熱のある自分ではどうしようもなかった為、亘は言われた通りおとなしく言う事を聞いた。
新しいパジャマに着替えて熱を測り終えると体温計を美鶴に渡す。
「38度3分か・・・高いな・・まだ寒気するのか?」
「・・・・ん・・ちょっと・・・」
毛布にもぐりこみちょっとだけ身震いしながら亘は答えた。まだ熱が上がりきってないのか。暖かくするしかないな。
「なんか温かいもの飲んだ方がいいな・・・生姜湯つくってきてやる」
「・・・・生姜湯・・・やだぁ・・・蜂蜜レモンがいい・・・」
弱々しい声で亘が注文をつける。美鶴は苦笑しながら毛布の上からパフンと亘の頭を押さえる。
「何文句言ってんだよ。病人のくせに!」
「だったら・・・もっとやさしくしてよぉ・・・」
「やさしいだろ?これ以上どうやさしくしろって?」
ううう・・と唸る亘を微笑みながら後にして美鶴はキッチンで亘の注文どおりの蜂蜜レモンを作って持ってきた。
外の風がカタカタと窓ガラスを鳴らす。思ったより外は冷え込んでいるようだ。もう日もほとんど傾いていた。
「美鶴・・・もう、そろそろ・・帰っちゃう?・・・」
蜂蜜レモンの入ったカップを両手で持って飲みながら心細そうに亘が聞いた。
亘の勉強机の椅子に座って本を読んでいた美鶴が顔を上げる。そして亘にむかって少しだけ微笑んでいった。
「いや。まだいるよ。・・・おばさんが帰って来るまでいるから・・・心配するな」
病気のときは誰だって心細い。一人は嫌だ。美鶴もそれは良くわかっていた。
亘はそれを聞くとホッとしたように笑った。そしてカップを置くとしばらく思案気な顔をしていたが片手を伸ばし美鶴をチョイチョイと手招きする。
「?なに?」
本を傍らにおいて亘の方へ近づきベッドに腰掛けた。そのとたん亘の手が首に回って美鶴はベッドに倒れこむ。
「わ、亘っ?!」
我ながら慌てた声を出してしまった。すぐに起き上がろうと体を動かしたら思ったより強い力で亘がそれを阻止する。
「・・・美鶴・・添い寝して・・・添い寝してよ・・・」そしてギュッと首にしがみつく。
「は?・・」
「お願い・・・ちょっとだけ・・ちょっとの間でいいから・・・」
小さな子供のようにおねだりしながら亘は少しだけ涙ぐんでいた。病気は人を子供に戻すのかもしれない。
不安で不安で寂しくて・・・普段なんでもない筈の事までなぜだか心配になったりする。
美鶴はそっと亘の背中と頭に手を回すと優しく撫でながら聞いた。
「・・・どうしたんだ?」
亘は頭をフルフルと振ると美鶴の胸に顔をうずめたまま何も言わない。美鶴はやさしく促した。
「亘・・・どした?」
亘はゆっくり顔を上げると小さな声で呟いた。
「・・・高校・・僕だけ、落っこっちゃったら・・・どう、しよう・・・」
「え?」
「・・・僕だけ落ちて・・・美鶴と離れ離れになったら・・・ど、しよ・・・」
かすれた声で・・・搾り出すように亘は言った。美鶴はそれを聞いて目を細める。
もしかしてそれで最近無理し過ぎたりしてたのか?無茶してたのか?調子が悪かったくせに夕べも?
美鶴は亘をギュッと抱きしめると耳元に優しく囁いた。
「何言ってんだよ。大丈夫に決まってるだろ」
確かに美鶴は頭がいい。本来なら公立の高校に行くレベルではないのだから正直今から合格が約束されてるような物だ。
対して亘は決して成績が悪いわけではないけれどそれなりの努力をしなければならないのは確かだった。
でもこんなにがんばっているのだ。落ちる訳なんかない。
美鶴はもう一度力強く言った。
「亘は落ちない。必ず俺と一緒の高校に行くんだ」
もう決まってる未来を告げるように美鶴は言った。そして更に強く亘を抱きしめる。亘は小さくコクリと肯いた。
「うん・・・」そしてホッとしたように息をつく。
しばらくそうやって亘を抱きしめながら美鶴は添い寝をしてやった。そのうちやっと体が温まってきたのだろう。目つきがとろんとして来た。
「少し寝たほうがいいぞ」
毛布を引っ張り亘にかけてやりながら美鶴が亘から体を離して起きようとする。
「ん・・も、ちょっと・・・もうちょっとだけ。美鶴・・離れないでよ・・」
起きようとする美鶴の腰にしがみつくので今度は膝枕の体勢になってしまった。美鶴は苦笑してため息をつく。
「・・・・って・・・」もうほとんど眠りかけながら亘が何か呟いた。「え?」
「子守唄・・・歌って・・・美鶴」
「・・・は?・・・」
亘の頭を撫でながら美鶴は思い切りポカンとした声を出した。・・・子守唄?子守唄って・・・
「亘・・そんなの知らないから・・」
「じゃあ・・・なんでもいい。美鶴の歌える歌でいい・・・歌って」
美鶴はとても綺麗な声をしてる。人前で歌う事なんか音楽の授業のときくらいしかないけれどとても綺麗な歌声なのを亘は知っている。
いま、眠りに落ちる前。病気でちょっとだけ不安ないま・・・亘はどうしても聞きたかった・・・
美鶴は今度は大きなため息をわざとつく。そして亘の前髪をかきあげて顔を覗き込んで言った。
「今日はずいぶんとわがままだな」
「うん。・・・いいじゃん・・病気のときくらいさ・・」
甘えるように自分の額にある手に自分の手をそっと添えながら亘は笑った。
「・・・高くつくからな・・」美鶴も微笑みながら・・そして少しだけ照れた顔で・・・静かに息を吸い込んで・・・歌い始めた。
・・・Alas, my love, you do me wrong To cast me off discourteously
For I have loved you well and long Delighting in your company.・・・・
(あ・・・)
目を閉じ美鶴の流暢な英語の歌詞の歌を聞きながら・・・もう眠りに落ちる寸前になりながらも・・・
亘はこれは聞いた事のある曲だとボンヤリ思う。
・・・なんだっけ。・・たしか・・・イギリスかどこかの古い古い曲だ・・・
・・・むかしむかしの・・・せつないせつない恋の歌だ・・・
・・・Greensleeves was all my joy Greensleeves was my delight
Greensleeves was my heart of gold And who but my lady greensleeves・・・
美鶴の歌声を聞きながら亘は少しだけ目を開ける。ふと外を見るとほんの少し、白い物が落ちてくるのが見えた。
「・・・美鶴・・初雪だよ・・・」
歌を止めて美鶴も外を見る。日が暮れた闇の中、銀の粉が舞い落ちている。
「ああ・・・」
二人でしばらく窓の外を見ながらまるで時が止まったかのような錯覚を覚える。亘はそっと目を閉じながら呟いた。
「もっと歌って・・・僕が寝ちゃうまで・・・」
やさしく微笑みながら美鶴は静かに肯いた。そしてまたそっと歌い始める。
・・・Greensleeves was all my joy Greensleeves was my delight
Greensleeves was my heart of gold And who but my lady greensleeves・・・
(グリーンスリーブスは私の喜び グリーンスリーブスは私の楽しみ
グリーンスリーブスは私の魂そのもの 私のグリーンスリーブス、貴方以外に誰がいようか・・・)
美鶴の綺麗な歌声を聞きながら美鶴の膝の上で・・・亘は幸せそうに眠りに落ちた。
その寝顔を見ながら美鶴もこれ以上ないくらい幸せそうな笑みをその顔に浮かべていた。
・・・Ah, Greensleeves, now farewell, adieu To God I pray to prosper thee
For I am still thy lover true Come once again and love me. ・・・
(ああ、グリーンスリーブスよ、さようなら 貴方の繁栄を神に祈ります
私は貴方の真の恋人 もう一度ここに来て、私を愛してください・・・)
美鶴は外を見ると舞い落ちる白銀を見ながら思った。
亘の風邪が直ったらもうあまり無理させないようにしよう。体を壊したら元も子もない。
気分転換に・・ちょっと遊びに行くのもいいかもしれない。美鶴にしては珍しくそんなことを考えて眠った亘の頭を優しく撫でながら。亘が深く深く眠るまで・・・美鶴は囁くようにずっと・・・歌いつづけていた。
・・・Ah, Greensleeves, now farewell, adieu To God I pray to prosper thee
For I am still thy lover true Come once again and love me. ・・・
(私は貴方の真の恋人 もう一度ここに来て、私を愛してください・・・)
舞い落ちる銀の粉が窓の外二人を照らしながらゆっくりゆっくり降り積もっていた。
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