「言いたい事があるなら言えよ」
リビングのソファに座ってさっきから小さなため息をついてる宮原に美鶴は言った。
亘はばつが悪かったのかコーヒーをいれてくると言って素早くキッチンに消えていた。
「いって聞く芦川じゃないだろ」
「だったら、うっとうしいからそのため息をやめろ」
つかせてるのは誰なんだよ。またつきそうになったため息をグッと飲み込みながら宮原は目の前のテーブルにバン!とたくさんの書類やらカタログを叩きつける。
「頼まれてた資料!・・・わざわざもってきた人間にあんなもんみせるなっ!」
「あんなもんてなんだよ」
「・・・だ、だから・・さっきの三谷と・・ああいう・・・」
思わず口ごもって赤くなる宮原に美鶴はしれっと言った。
「変なことしてた訳じゃなし。何考えてるんだ」
カタログを手にとりながら平然という美鶴にさすがの宮原も切れた。
「だったら!せめて人目を忍べよっ!考えろよっ!・・・たびたびあんな場面見せられるこっちの迷惑も考えろ!」
実を言うと宮原が美鶴と亘の抱擁(他にどう言えというのか)シ-ンを目撃したのはこれが初めてではない。
さかのぼれば小学校の卒業式。
いきなり消えた二人を探すよう先生に言い付かって探しに出てみれば体育館の裏で美鶴が思い切り亘をかき抱いていた。宮原は最初何が起きてるのか皆目わからずおそるおそる声をかけたら亘は真っ赤になって美鶴を突き飛ばし、邪魔された美鶴はその不機嫌パワーを宮原に向けた。
おかげでせっかくの晴れの卒業式が散々な物になったのだ。
その後は幸いというべきか、中学からは別の学校になったので宮原の学校生活が脅かされる事はなくなった。
・・・・だが、たまにこうやって美鶴や亘の家に来るごとにわざとやってるんじゃないだろうな、というくらいの確率で不本意目撃シーンを体験させられる。
「・・・・前々から聞きたいとは思ってたけど・・・」苦々しい声を出しながら宮原が美鶴を睨む。
「芦川は三谷のことなんだと思ってるんだよ?・・・」
「なんだってのはどういう意味だ?」相変わらずたくさんの書類やカタログに視線を落としたまま美鶴は聞いた。
「・・・だからっ・・・ゆ、友人同士ですることじゃ、ないだろっ!ああいうの・・・普通じゃないだろ・・・どっちかっていうと・・こ、恋人同士のような・・・つまり、芦川・・・み、三谷のこと・・・」
「つまり、俺は亘に欲情してるのかって聞きたいのか?」
「~~~~!!」
せめて恋愛感情を持ってるのか、て聞きたいのか?とか言ってくれよ!自分が言い始めた事なので引くわけにも行かず、顔を赤くしたまま宮原は美鶴を睨みながら肯くしかなかった。
「お前馬鹿かよ?あるわけないだろ。そんなの」
拍子抜けするくらいは美鶴はあっさり否定した。宮原は思わず肩の力が抜けてポカンとする。
「え・・あ・・そ・・なの?」
美鶴はちらっと宮原を見ると今度は自分がため息をついた。そして顔を上げて宮原に問い掛ける。
「宮原・・・お前さ・・・お前の宝ものってなんだ?」
「は・・・?」
唐突な質問に宮原は目をパチクリさせる。そこに亘がコーヒーのいい香りをさせて戻ってきた。
「おまたせ!落していれたから時間かかっちゃった・・・・なにしてんの?二人とも?」
たくさんのカタログや書類をテーブルに広げ、どう見ても会話が弾んでいたとは言いがたい無言の二人を見て亘が不思議そうに声をかける。
「・・・なにこれ?たくさん・・・医大の案内書?・・・」
ソファに腰掛けコーヒーのカップを置きながら亘はそのひとつを手にとる。ハッとしたように宮原が説明した。
「あ、これ・・芦川に頼まれてた医大関係の入学案内書だよ。うちの学校こういったカタログいっぱい置いてあるから」
「え・・・美鶴が?・・・」
あれ?・・・宮原は驚く。亘は初耳だったのか。ビックリした顔をして美鶴を見ていた。
「・・・美鶴・・医大行きたいんだ?」
「そのつもりで考えてる」
亘が持ってきたコーヒーに口をつけながら美鶴はそっけなく答えた。
「・・へぇ・・・知らなかった・・・」
明らかに落胆した亘を見てなんだか宮原は居たたまれなくなってしまった。この二人でお互いの知らない事があるなんて思いもしなかった。
「あ、え、えーとそれじゃ・・・おれ帰るよ・・」
とてもこの雰囲気には絶えられそうもない気がした宮原はあわてて立ち上がる。
「え?まだいいじゃん!コーヒーだってまだ飲んでないよ」
「うん。でも・・・」
「すっごい久し振りなんだからさ!あ、そうだ。チビちゃんたち皆元気?」
さっきまでの落胆振りが嘘のように明るく振舞いながら宮原に話かける亘にそれでも美鶴は何も言わない。
せめて何かひと言フォローすりゃいいのに・・
宮原の方が何故かやたら亘に気をを使うはめになってしまった。
「じゃあな。助かった」
簡潔な礼の言葉を口にしながら美鶴は玄関まで宮原を送り出していた。
亘は帰ってきたアヤのおしゃべりに付き合わされてまだリビングにいる。
「いや・・・またなんかあったら言ってくれよ」
靴を履きながら宮原は言った。そしてふと思い出して美鶴をまっすぐ見ると問い掛ける。
「さっきの話だけどさ・・・」
「さっき?」
「いや、ほら・・宝物がどうのって・・・」
美鶴は宮原をしばらく黙ってみていたがやがてゆっくりと口を開いた。
「・・・絶対に手離したくない・・・大事な大事な存在。自分の心をいつも暖かいもので満たしてくれる大切な大切な宝。・・・そういうもの・・・宮原にはないのか?」
「え?・・・」
まるで歌を歌うようにきれいな美鶴の囁き声に思わず聞きほれながら宮原は聞き返した。
「亘は・・そういう存在。・・・宝・・宝物・・・たったひとつしかない、何にも代えられない。大切な大切な俺の・・・宝物だ」
何の照れも戸惑いもなく、宮原の目をまっすぐ見返してはっきりと美鶴は告げた。
呆気にとられるよりも・・・美鶴のあまりに堂々としたその宣言ぶりにむしろ宮原は感動にも似た思いを抱いてポカンと美鶴を見つめ返す。そしてその真摯な瞳に今度はちょっとだけ諦めのため息をついて微笑んだ。
「そうか・・・・うん。なるほどな・・・うん。・・さっきはごめん」
芦川美鶴は年齢より大人だと良く周りの者は言う。果たしてそうだろうか。苦笑して宮原は思う。
こと亘に関して美鶴は今のようにまるで幼子のようにこちらが呆れるほど純な想いを抱いているのだから。
以前から宮原は感じていた・・・恋愛とか・・・友情とか・・そういった言葉ですますことの出来ないもっと大きな想いを美鶴は亘に抱いている。そのこと自体に宮原は正直感動しながらもそれでも自分が感じた事をやはり言わずにはいられなかった。
玄関のドアに手をかけ外に出ようとしてしばらく立ち止まり、美鶴を振り返らず後姿のまま考え込んでいたがやがて思い切ったように宮原は口火を切った。
「・・・ごめん、芦川・・・・でもやっぱ・・これだけはいっていいか。」
ドアノブを回しドアを開けながら、まるで独り言のような小さな声で呟いた。
「二人を見てると・・・なんかこう・・・つらそうっていうか・・お前ら一緒にいる方がせつなくて・・・つらそうな感じがするんだ。・・ごめん。なんでだろうな・・」
そう言って宮原はそのままドアの向こうに消えた。ドアの向こうに去っていく足音を美鶴はしばらく聞いていた。
「宮原?帰っちゃった?」
アヤのおしゃべりから解放されて小走りに亘は玄関にやってきた。
「たった今帰ったよ」
「あ、そっか・・・」
自分の方は見ずに腕を組みながら何ごとか考え込んでる美鶴を亘はチラッと見る。
美鶴は考え込んだまま何も言おうとしない。
亘は話かけようとして・・・口をつぐみ目を伏せた。
「・・・じゃ、僕も帰るね」
「そこまで送る」
「ええ?別にいいよ。なにいきなり?」
今までいわれたことのない申し出に亘は驚きながら答えた。
「送りたいから」
簡潔な美鶴の答えに亘はフッと微笑みながら先に外に出た。
「怒ってるんだろ?」
亘の家へ向かう川岸の土手を歩きながら美鶴が聞いた。
「え?」
「俺が医大行きたい事、亘に話した事なかったから」
「・・・ああ、うん。・・・でもそれは・・美鶴の自由だし・・・いちいち僕に相談する事じゃないしね・・」
ディバッグを脇に抱え足をぶらぶらさせて歩きながら亘は空を見上げる。もうすっかり日が暮れて星が瞬き始めていた。
「ま、ちょっとは腹立った。何で僕には言ってくんないのかなって・・・」
振り返りおどけたように言いながら亘は美鶴に微笑んだ。
「思わず宮原にヤキモチ焼いちゃっただろ?」
次の瞬間。亘の視界が反転する。背中に少しの衝撃とともに冷たい草の感触を感じた。
「み、美鶴?」
気が付けば土手の上に押し倒されて美鶴にきつく抱きしめられていた。星の瞬きが目に痛い。
「またっ!・・・美鶴!ダメだよ。一日一回って約束だよ」
「今日だけ」
「ダーメッ!!」
そして亘は渾身の力で美鶴を押し返す。くやしいが力はどうしたって美鶴の方が強いのだ。
隙を見てスルリと美鶴の腕から抜け出すと亘は今度は自分から美鶴にそっと覆い被さった。
「亘・・・」
そして美鶴の胸に耳を当てる。先程美鶴が亘にしたのと同じようにその胸に耳を当てその音色に耳をすませる。
「・・・たまには、僕だってさ・・・いいだろ」
少し顔を赤くしながら亘は呟いた。美鶴は亘の髪に指をからめ、その頭を優しく撫でながら肯いた。
「うん・・」優しく微笑みながら。
月明かりとわずかな星の光しか届かない場所で二人はお互いのぬくもりだけを感じていた。
二人の心音が重なり合って響くのを聞くうちに二人は自分の体がどちらなのかもわからなくなる気がする。
「・・・・だろうな」美鶴が何かを囁いた。よく聞き取れなくて亘が聞き返す。
「・・・え?なに?」
「なんでもない・・・」
少し体をずらし亘の肩口に両手を回すと美鶴はまた亘をきつく抱きしめた。
大事な大事な宝物がどうぞこの手から逃げていかないようにと祈るように。
いつまでこのままでいられるのだろう・・・
俺たち何時までこのままでいていいんだろうな・・・
あとどのくらい・・・?・・・いつまでこうしていてもいいのですか・・・
亘を抱きしめる美鶴のその手がほんの少し・・・震えていた。
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