宮原から連絡を貰ってすぐに亘の母やアヤが、亘の運ばれた病院に駆けつけてきた。
亘の母は状態の説明をしたいという医師に別室に連れて行かれ、宮原とアヤだけが亘の運ばれた病室の前で、顔を青ざめさせながら立ちすくんでいた。
「宮原くん・・・亘おにいちゃんは・・・」
やっとの事で口を開くアヤに宮原は顔を上げると、首を振りながらかすれた声で答える。
「・・わからない。・・俺が見た時は・・頭から少し血を流してるくらいで・・・目立った外傷は・・無かったと思う。・・でも、かなり跳ね飛ばされた感じだったから・・」
少女を自分の体で包むようにかばった亘は、真正面から車に激突したように見えた。
亘の体がクッション代わりになり、かばわれた少女は命に別状も無く、軽傷ですんでいた。
宮原は唇を噛む。亘を次々襲う理不尽さに腹が立ってきた。
なんでだよ。どうしてだよ。・・・なんで三谷ばっかりこんな目にあうんだよ・・!
そして、今、最も傍にいなければならないはずの人物が、ここにいないことに猛烈に怒りが湧いた。
「アヤちゃん・・芦川からの連絡は・・」
アヤは悲しそうな顔をすると俯きながら小さな声で言った。「・・・今日は、まだ・・」
アヤのその言葉が終わらないうちに宮原は叫んだ。
「何考えてんだよ!芦川の奴は!!」
驚きで目を大きく見開くアヤにかまわず宮原は続けた。
「何で傍にいてやらないんだよ!何で今ここにいないんだよ・・・お前が一番いなきゃダメだろ!一人で勝手に逃げて・・・何考えてんだよ!」
両手を握り締めて、叩きつけるように宮原は叫ぶ。
通り過ぎる人々がいぶかしげに宮原とアヤを交互に見ていた。
「・・・ごめん、アヤちゃん・・」
ポロポロと涙を流しはじめたアヤを見ながら辛そうに宮原は言った。アヤは涙をぬぐいながら、それでも首をブンブンと横に振った。
亘の母が少し、よろけた足取りで戻ってくるのが見えた。
「おばさん!」
宮原とアヤが駆け寄って支えながら、すぐ傍にあった長椅子に亘の母を座らせた。
「三谷は・・?・・亘くんの状態はどうなんですか?」
亘の母は呆然としていて宮原達の声が届いていないようだった。宮原は肩を揺さぶりながら問い掛ける。
「しっかりしてください!三谷は?三谷は大丈夫なんですよね?」
亘の母はゆらりと動いて、やっと視線を宮原に合わせた。と、同時に両手で顔を覆うと震えながら言葉を絞り出した。
「今日か・・・明日・・」
宮原は絞り出されたその言葉を聞いて、背中に冷や水を浴びせられたようにゾッとした。
「・・・今日か明日までに・・意識を取り戻さないようだったら・・・・わからない・・あぶな・・いって・・」
その後の言葉はもう続かなかった。
宮原とアヤは頭が真っ白になってその言葉の意味をすぐに理解する事が出来なかった。
なに?なにいってるんだ?
・・・ある訳無いだろ?・・・そんなこと・・あっていい訳ないだろ・・
真っ青になって立ち尽くすアヤの肩にかけていたバックのなかから、何か音が響いてきた。
携帯の着信音。その音色は宮原も聞いたことがあった。
・・・たしかクラシックの曲・・・題は・・「主よ、人の望みの喜びを」・・
アヤはハッとするとすばやくバックから携帯を取り出した。
宮原も顔を上げる。予感がした。アヤが携帯に出てその名を呟く前に、かけてきた人物が誰なのかすでに確信していた。
「おにいちゃん・・・」
涙の溢れた眼を大きく瞬かせながらアヤが携帯に向かってそう呟いた途端、宮原はアヤから携帯を取り上げて叫んでいた。
「バカヤローッ!芦川っ!早く帰って来い!」
アヤが止める間もなく、とりなす間もなく宮原は続ける。
「三谷がっ・・・三谷が事故に遭ったんだぞ!・・きょ・・今日か、明日まで意識取り戻さなかったら・・・何やってんだよ・・バカヤロ・・バカヤロウッ!・・・お前がいなくてどうするんだよっ・・」
宮原は携帯に向かって叫ぶ。泣いていた。
「・・必要だってだけじゃダメなのかよ?・・形を作る必要があるのか?お互いが必要だって・・・それだけじゃダメなのか?
それが一番大切なことだろ・・それだけじゃ・・それだけじゃ・・ダメなのかよ!!」
ポロポロポロポロ、涙が溢れ出す。側で見ていたアヤも口に手を当て泣いていた。
悔しかった。何も出来ない自分が。何もしてやれない自分達が。
悔しくてもどかしくて、涙が止まらない。
何時の間にか携帯は切れていた。切れた携帯を手に俯きながら涙を流す宮原にアヤは静かに近づいて、そっと抱きしめた。
大切なら傍にいればいい。必要なら傍にいればいい。
只、それだけの事がなぜこんなに難しいのだろう。
なぜ僕らはこんなにも迷って傷つかなければならないのだろう。
自分を抱きしめるアヤの肩にそっと手を置きながら、宮原は泣き続けた。
宮原との電話を切った後、美鶴は無言のまま電話局から出てまっすぐゾフィと歩いた公園に向かう。
公園の中には小さいが森があり、うっそうと木が生い茂っている為、昼でもほとんど日が差さず薄暗かった。
美鶴はその中でも一段と日の差さない場所に一人佇んだ。
コートのポケットに両手を入れたまま、静かに目を閉じると小さな小さな声で何事かを呟いた。
瞬間、美鶴の周りに一陣の風が巻き起こり、美鶴の髪やコートを舞い上げる。
辺りの木々の葉がその風に巻き込まれ、次々に飛翔する。
そして次の瞬間、美鶴の足元に魔法陣が現れた。
美鶴はゆっくり目を開くとまた何かを唱え始める。
「いいの?」
美鶴の後ろから声がした。ふいにかけられた、でも確かに聞き覚えのあるその声に美鶴は振り返る。
「いいの?私知ってるわ。その魔法・・・一度しか使えない・・」
舞い散る葉の中に、見慣れた気高い笑顔があった。優しい微笑があった。
「あなたの命を渡す魔法・・あなたの命を代りとして人の命を救う魔法よ。やり直しは利かない・・・それでもいいの?」
美鶴は静かに頷いた。そしてその名を呼んだ。気高いその名。少女の名を。
「ゾフィ・・・」
少女を見ながら美鶴は微笑んだ。そして静かに首を振る。
「・・いや、もうあなたが誰かわかっています。・・・聖なるハルネラの半身を決める方。この現世の他にもう一つ存在する世界の女神。
俺がこの世界に戻る事を許してくれた・・・ヴィジョンを統べる・・運命の女神・・」
辺りに光が満ちた。
周りから景色が消えて眩しいほどの光だけが二人を包む。まるで宙に浮いているように二人の姿は揺らめいた。
──何時わかったのですか。
声ではなく、直接その言葉は美鶴の頭の中に響いた。
「あなたに会えなくなってすぐに。・・・どんなに探しても、見つけることが出来なかった時に・・・わかりました」
ゾフィの姿をした女神は静かに微笑んだ。
──じゃあ、なぜ私がこの少女の姿で現れたのかも、もうあなたはわかっているのですね。
「・・・はい。俺の心の奥底に・・・癒せないほどの傷を与えた少女に対する後悔の念があったから。
・・・いつもその少女に対する消す事の出来ない贖罪の思いが・・・あったからです・・・」
少女は頷き、また微笑んだ。
──ミツル、・・・あなたはハルネラの半身です。・・・そして、罪びとです。
「・・・はい」
──私はあなたをこの世界におくり出す時に言いました。・・あなたは守れますか、もう一つの魂を。あなたの命に代えて、と。
・・・覚えていますか?
「はい。覚えています」
少女はまた静かに頷くと続けた。
──もとより、あなたは半身です。あなたがこの現世で命を失うという事は、ハルネラの半身に戻るという事。
それを理解した上で、それでも尚、あなたはもう一つの魂を救いたいと願うのですか?
「・・はい。願います」
──千年の時を過ごすのですよ。
「女神様・・俺のこの命は、亘に貰ったものです」
いつか美鶴は女神の足元に跪き、贖罪の言葉を述べる罪人のように畏れながら、それでもはっきりと答えていた。
「亘がいなければ・・亘が救ってくれなかったら・・・無い命です。亘が俺にくれた言葉がなければ・・・生きていない命です」
女神はただ黙って美鶴の言葉を聞いていた。この上なく慈悲深い顔で。
「その亘に貰った命を亘に返すだけです。・・・俺の命は亘のものです。・・・亘の為に・・それで亘が助かるのなら・・俺は・・・自分の命なんかいらない・・・いらないんだ・・」
わたるわたるわたる・・・・ワタルワタルワタル・・・・
何よりも何よりも大切なその存在。
自分の生命よりも。自分の未来よりも。何よりも何よりも守りたい存在・・・
いま、はっきりとわかる。
自分が何を望んでいたのか。本当に求めていたのはなんなのか。
それは亘の命だ。
永遠に輝きつづける、永遠に微笑みつづける亘の命だ。何よりも幸福である亘の命だ。
自分の命がその命に溶け合うことだ。
それが自分にとっての亘との永遠の約束になる。
例えお互いがすぐ傍にいなくても。もう二度と触れ合うことが出来なくても。
それで現世で命を失って半身となり、そしてヒト柱となって千年の時を過ごすことがなんだというのだろう。
それが許されるなら、亘との永遠の約束が許されるなら。
自分にとってそれさえも、もう恐れる事柄ではない。
美鶴はゆっくりと立ち上がった。
「俺はかまいません」
そして力強く、その瞳に何の迷いの色も映さずに美鶴はハッキリと告げた。
女神はそっとその手を差し出すと微笑みながら美鶴の手を取り、優しく気高い声で頷きながら囁いた。
──小さな幼いヒトの子よ。祝福あれ。
そしてその姿を一瞬にして掻き消したと同時に、目も眩むような広大な光が飛散し、辺りの景色が戻った。
鋭い風が吹き渡り、美鶴の足元に先程の魔法陣がまた姿を現した。美鶴はすばやく呪文を唱える。
魔法陣がぶれて光を放ったと思ったら美鶴を包み込み、その姿を消しさった。
後には舞い散る木々の葉と、痛いくらいの静寂が残っていた。
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