僕らの変わらない場所
「は、な、み」
「句読点をつけて言うのは止めろ」
二人して図書館で、入ったばかりの新作のミステリーを読んでいた亘と宮原が顔を上げる。
そして自分たちの方を見ながらニコニコ笑ってるカッちゃんとなぜかその横で苦々しげな顔をして腕を組んでる美鶴に声をかけた。
「何の話だよ?」
本から顔をあげて宮原が言った。亘もその横で目をくりくりさせて両手で頬杖をつきながら、興味深そうにカッちゃんと美鶴が並んでいるのを見ていた。そもそもこの二人が並んで立っているという事自体がものすごく珍しい事なのだ。
「だから、は、な、み!花見しようぜっ!」
意気揚揚とカッちゃんは言った。宮原はまじまじと二人を見る。
「・・・誰が言い出したんだ。それ?」
何時もならそんなのは問い掛けるまでもない質問だった。
こういう事を言い出したり、考えたりするのはカッちゃんこと小村克美以外は有り得ないからである。だがこの雰囲気はなんだか何時もと様子が違う。
芦川がまるで付き従うように小村の後ろに立っているなんて・・・まさか。
「芦川だよ!どうしても花見したいって言うからヨ。俺がセッティングしてやろうと思ってさ!」
ここぞとばかりのカッちゃんの物言いに、美鶴は思い切り顔をしかめるが、どうやら何時もの毒舌は必死に我慢しているようだ。びっくりして自分を見つめてくる亘と宮原に、苦々しげな顔をしたまま、かすかに頷いた。
「へぇー!珍しいね?美鶴がそんな事したがるなんて」
「・・・大丈夫か?熱でもあるんじゃないのか・・」
本気の顔で心配してくる宮原に美鶴はギランとひと睨みを寄越しながら、それでも照れくさそうに気恥ずかしそうにポツリと言った。
「桜が見たいんだよ・・・」
その何時もと違う、どうみても11歳の少年らしい美鶴のはにかみを見て、亘は思わず目をキラキラさせて頬を赤らめさせて感動し、宮原は見てはいけないものを見てしまったと冷や汗を流しながら、明日この世界が終わっても悔いがないように家に帰ったら何時もよりもたくさんチビたちと遊んでやろうと、天に向かって悲壮な決意をしていた。
美鶴が花見に出した条件はこうだった。
誰も他に人が来ないこと。出来るだけ周りに建物が立っていない静かな場所であること。
そして何よりも。
そこにある桜が樹齢百年以上の桜の木である事。だった。
「そんな条件いくら小村でもクリア出来るのか?」
翌日の塾からの帰り道。驚きの声を上げる宮原に美鶴は静かに言った。
「アイツならやるだろ。そうでなきゃ、誰がわざわざ小村に頼むか」
憎憎しげに言いながらも、密かにそういった部分では美鶴がカッちゃんを信頼し、頼りにしている事がわかる。
宮原は美鶴に悟られないよう微笑みながら、それでもやはり疑問だった事を聞いた。
「それでも、芦川が4人で行こうなんて言うとは思わなかったな。三谷と二人きりっていうならわかるけどさ」
宮原のその言葉を聞いて、美鶴はじっと宮原を見た。あれ?ちょっとマズイこと言ったかな?と、ちょっと宮原は身構える。
せっかく、俺が誘ってやってんのに何だその言い草は!とか。ああそうだな。だったらそうするさ!とか言う返事が返ってくる事を覚悟してみれば、またもや美鶴は少しはにかんだ表情でこう言った。
「・・・4人で行きたいんだよ」
宮原くん、本日も家に帰ったら悔いのない様、徹底した家族サービスをする事を決意しました。
そしてその週の末に、カッちゃんはとうとう目的の場所を見つけて来た。さすがにカッちゃん!と亘は手を叩いて感心した。
カッちゃんが探し出してきたその場所は、以外にもそう、遠い場所ではなく自転車でも行けそうな距離だった。
じゃあ、今度の日曜日に行こう!と計画は決まり、亘はお弁当作るからと張り切って、宮原はせっかくだから晴れるようにと、前日弟や妹たちにも協力してもらい、大量のテルテル坊主を作って軒先にぶら下げていたらしいことは秘密である。
「う、わぁ・・・・」
自転車から降りて、その桜の木の下に立った亘は感嘆の声を上げてその桜を見上げた。
自転車を止めて、次々桜の下に集まって来た美鶴や宮原も同じく感動のため息をついた。
「どうだ?たいしたもんだろ。大穴の穴場!知られるざる好立地!樹齢120年の桜だゼ!」
その桜は自転車で40分ほど走ってきた、郊外の小さな森の中にあった。
森は小さいけれど、木々がうっそうとしていて普段から人はほとんど来ないような雰囲気の場所だった。
その森のなかを少し入っていくと、いきなりひらけた原野に出る。その真中にその桜の木は立っていた。
優美な枝を広げ、薄紅の花弁を舞い散らせながら、さながらこの森の女神がそこに微笑みながら座しているかのように荘厳に艶麗に立っていた。
「なんか、むかーしこの辺に神社があったんだってヨ。その神社が建った時に植えられた桜らしいんだけど、なんかその神社は戦争だかで火事にあって燃えてなくなって・・・桜は無事だったんだけど一度火事にあったような場所に、またカミノヤシロは建てられないって、エンギの悪い場所だってヒトも来なくなって・・・そのままだってよ」
「さもありなん、だな・・」
後半はおそらく、父親辺りにでも聞いた知識なのであろう、棒読みのカッちゃんの解説に美鶴は頷いて言った。
「もったいないね。・・・こんなに綺麗で立派な桜の木なんて滅多にないのに」
桜の木の下にシートを敷きながら、亘は言った。そして自転車にくくり付けていたリュックから大きなランチボックスを出してきて、シートにお弁当をひろげる。
「イヤッホー!弁当だ!」
優しい風の中、舞い散る桜の花びらに包まれて4人はお弁当を食べた。
「・・・・?」
「あ、美鶴。目、覚めた?」
自分の髪を何度も梳く感触を感じて、美鶴は目を開ける。
頭の下に柔らかくて暖かいぬくもりを感じながら、見上げるとニッコリと微笑む亘の笑顔があった。
「亘・・・?」
美鶴は自分の前髪をゆっくりかきあげ、少しため息をつきながら不思議そうな声を出す。
「お弁当食べたら、寝ちゃったんだよ。美鶴」
「・・そう・・なのか?・・・ごめん・・いつのまに」
「だから僕、シートの上じゃ頭イタイと思って膝枕してたんだ」
その言葉にぼんやりとまだ目を瞬かせていた美鶴は一気に覚醒した。そして慌てて体を起こそうとしたのを亘に止められた。
「もう、ちょっとそのままにしてなよ。完全に目覚めてから起きないと、体に良くないよ」
「足、痛くないのか・・?」
「うん、大丈夫だよ」
もとより、こんなチャンスは滅多にない訳で。美鶴は素直に亘の言葉に従うことにした。
体を少し斜めにして、亘の膝に出来るだけ体重をかけないように位置を落ち着けながら、亘を見上げて問い掛ける。
「宮原たちは?」
「なんか、美鶴が寝て僕が膝枕しはじめたら思い切りため息ついて、そのヘン探検してくるとか言ってどっか行ったよ」
そりゃそうです。
何が悲しくて『春、満開の桜の下の仲睦まじい夫婦絵図』なんか、見てなきゃイカンのですか。
美鶴は亘の腰に片手を回して、優しく抱きしめながら苦笑した。
「ねぇ、美鶴・・」
美鶴の柔らかい綺麗なネコッ毛のような髪をここぞとばかりにいじりながら、亘は聞いた。
「・・なに?」
「今日のことって、ひょっとしてさ。・・・美鶴からの僕たちへのプレゼント?」
亘の膝枕にまた、ウトウトしかけていた美鶴は静かに目を開けて亘を見た。
「この場所見つけてきたのはカッちゃんだけどさ。美鶴が言い出さなかったらきっと来れなかったよね?
・・・こんな綺麗な桜の木、きっと見れなかったよ。僕、すっごく嬉しかった。宮原もカッちゃんもきっとそうだよ。・・・僕らを喜ばせたくて・・考えてくれたんだろ?」
美鶴はゆっくり体を起すと亘の方に向き直った。そして亘の頬にそっと手を伸ばして微笑んだ。
亘もその手を取り、微笑み返す。美鶴は自分の胸にじんわりと幸福感が広がるのがわかる。
ああ、かなわないな。
やっぱりかなわないな。亘はいつだってお見通しだ。
俺の考える事なんて、俺の思ってる事なんて、亘は水をすくって飲むようにいつだって自分の中に取り込んでしまう。
「クリスマスの時は・・アヤのために世話になったからな」
少し照れくさそうに美鶴は亘の頬を撫でながら、ポツリと言った。
「それに・・」
美鶴は立ち上がると亘の手を引き、桜の木のすぐ傍に連れて行く。
片手は亘の手を握ったまま、樹齢120年と言われるその幹にそっと触れると、美鶴はズボンのポケットから何かを取り出した。
「え?・・それナイフ・・?」
美鶴はパチンと器用に片手で小さな折りたたみナイフを開く。亘が驚いて目を真ん丸くした。
美鶴は亘を見て微笑むと、握っていた亘の手を自分がナイフを持っている手のほうに持って行き、自分の指と亘の指を絡ませ重ねながらナイフを掴ませた。
キョトンしながらも亘は美鶴が何をするつもりなのかわからなくて、重ねられた手をじっと見る。
美鶴はゆっくりと、それでも力を込めてそのナイフで桜の幹に傷をつけ、何かを字を書きはじめた。
「あ・・・」
最初、こんな立派な桜の木に傷つけるなんて、と戸惑いを見せていた亘はそこに書かれた文字を見て大きく目を見開いた。
ミ ツ ル
ワ タ ル
「樹齢100年以上も立っていた木ならこの先も、100年・・いや、1,000年立ってる可能性だってあるだろ・・・」
1,000年・・・その年数の意味に何かを感じて亘は思わず顔を上げた。
「俺と亘が確かにここに来た証。・・・この時間この時代・・確かに一緒にいた証を。一緒に桜を見た証を残したかったんだ・・・」
「美鶴・・・」
真っ黒な瞳を更に大きく見開いて、自分を見つめてくる亘を美鶴は優しく微笑みながら見つめ返す。
「何年後まで残るかわからないけど・・・二人で過ごした時間の証を残してみたかったんだよ」
亘の瞳が震えた。ふいに胸に熱いものが込み上げてきて重ねられていた美鶴の手をぎゅっと握る。
「そして・・・」
美鶴が静かに言葉を続けようとした時、後ろからバタバタと足音が聞こえた。
「何やってんだよ。二人して!・・・・んー?」
カッちゃんが転がるように走ってきて亘と美鶴の方にやってくると幹に刻まれた文字を見て、あっけにとられた顔をする。
少し遅れてその後を宮原が駆けて来て、同様に木の幹を見て絶句した。
「お前らなァ・・・」
少し顔を赤らめながら、大げさなため息をつく宮原に美鶴はナイフを差し出した。
「・・え?」
「お前らも書けよ」
宮原とカッちゃんは差し出されたナイフを受け取りながら、お互いの顔を見合わせた。
「俺たち4人がここに来たって証だ。書けよ」
まるで誰も知らなかった宝の島を発見してそこに初めての名を刻む、海賊たちの船長のように美鶴はニヤッと笑いながら言った。
「いいのか・・?」
「ああ、4人で書きたくて来たんだ」
キッパリとそういった美鶴に亘は驚いた顔をしながらもこれ以上ないくらい、嬉しそうな笑顔を浮かべて美鶴を見た。
「ヨッシャー!」
カッちゃんはそう言うと張り切って自分の名を刻み始める。宮原もチラッと美鶴を見て微笑みながら、そっと自分の名を刻んだ。
カ ツ ミ
ユ ウ タ ロ ウ
「宮原の名前が一番場所をくったな」
「悪かったな」
「桜の木さん、ごめんね。・・・でも、どうか僕らの名をこのままずっとここに残しておいてください」
亘が桜の木を撫でながら、そっと呟いた。答えるかのように同時に一陣の風が吹き、無数の桜の花弁が亘達に降りそそぐ。
自分達の上に優しい優しい花びらをそそぐその桜の木を4人は微笑みながら、ずっとずっと見上げていた。
「・・なに?笑ってるんだ」
後日。学校の昼休み。教室で本を読んでいる美鶴を亘はニコニコしながら見ていた。
「何でもないよ」
「・・変なやつだな」
そう言って、また本に視線を落す美鶴をあいも変わらずニコニコして見ながら亘は思う。
──・・・美鶴は自分の過ごす時間の中に・・間違いなく確実にこれからも共に過ごしていきたいと思う相手を増やしているんだ、と。
今回の花見で美鶴が4人で過ごす時間を大切に思ってくれているのが、亘にはわかって亘はとても嬉しかった。
一人でいた美鶴・・・誰をも受け入れようとしなかった美鶴・・・
その美鶴が1,000年名を残したいと、時を共に過ごした証を4人で残したいと言ったのだ。
それは同時に亘と過ごす時間を、より大切にしたいとういう証でもあるだろう。
なぜなら人は一人では生きられない。二人だけでも生きられない。自分達に関わる全ての人々を受け入れながら生きて行かねばならない。別れと出会いを繰り返して。
だからこそ二人で過ごす時間がより大切な物になるのだから。
本から顔を上げて美鶴が亘を見返した。これ以上ないくらい優しい微笑を浮かべながら。
亘も微笑み返す。これ以上ないくらいの幸せを感じながら。
きゃあぁぁぁぁーーーー!!!
お互いを見詰め合って微笑みあっていた亘達の後ろから、女生徒たちの阿鼻叫喚が聞こえてきて亘は思わず振り返った。
見てみるとなにやらカッちゃんがケータイの画面に写っている何かをクラスの皆に見せびらかしているようで、女の子を中心にクラスメイトが群がっていた。
「何やってんの?カッちゃん」
声をかける亘のほうにカッちゃんはニヤッと笑うと、亘達に見えるようにケータイを高くかざした。
亘はその画面を見上げる。そこに写っていた物は・・・
「?!わ、わ、わわーーー!!!」
亘は真っ赤になって慌てて駆けより、カッちゃんからケータイを奪おうとする。
「おーっとぉ!」
「バ、バカバカバカ!カッちゃん、いつの間に!!」
そこに写っていた物は・・・・まごうことなき『春爛漫、膝枕の夫婦絵図』!「バ、バカバカ!返して返して!」
ジタバタジタバタやっている亘とカッちゃんに美鶴がズズイと迫力オーラをまとって近づいてきた。
「小村・・それを俺に寄越せ」
カッちゃんはケータイを後ろに隠すと早口で言った。
「悪いなぁ、そういう訳にはいかないゼ。こんないいネタしばらく使わない手はないからな!亘と芦川には悪いけど」
「違う。」
「へ?」
「記念に欲しい。プリントアウトして部屋に飾る」
呆気に取られるクラスメイトの前に美鶴は大まじめな顔をしてそう嘆願した。
「何いってんのさーーー!!美鶴っっ!!」
春爛漫。抜けるような青空に亘の声が木霊した。
4人で過ごす時間は・・・2人で過ごす時間は。この先変わらない場所と共に。
まだまだずっとずっと・・・ずっとずっと。
・・・めぐる季節と共に・・・続いてる。
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