芦川美鶴さんの危機的状況
人間一生のうち、何度かはこれ以上ないくらいの危機に見舞われる事があるという。
芦川美鶴16歳。
いま現在、自分の人生始まって以来の最高最大無限数の危機を感じておりました。
「おっかしいなぁー・・カッちゃんはともかく、宮原が待ち合わせに遅れることなんてないのに・・・」
空は晴れ渡り、絶好の行楽日和。亘と美鶴は二人で駅のバス停の前にいた。
時計を見ながらこぼす亘に、その横でスポーツバックを掲げながら、バスの時刻表を見ていた美鶴が顔を上げて言った。
「携帯に連絡を入れてみろよ」
「うん」
亘は頷くと携帯を出した。程なく宮原と連絡はついた。が、亘は驚きの声を上げる。
「ええ~?そうかぁ・・・それじゃ、仕方ないよね。うん、いいよ。わかった。こっちは気にしなくていいから。ちょっと美鶴にも代わるね。お大事に」
そう言って亘は自分の携帯を美鶴に渡す。いぶかしげな顔で美鶴はそれを受け取ると携帯に出た。
『芦川?』
携帯から宮原の声が聞こえてきた。美鶴がすこし怒った声で告げる。
「なにやってんだ、宮原!さっさと来いよ。もうバスの出る時間になるぞ」
『いや、実はいま、三谷にも話したんだけど・・うちのチビがひとり、はしかになっちゃったんだ。
それで母さんに病院につれてけだのなんだの面倒を言い付かって、そっちに連絡するの遅くなったんだけど・・・悪い!そんな訳で俺は行けなくなったんだ。小村は試験で赤点とって補習に行かなきゃならなくなったらしい。・・泣く泣く行けなくなったと俺に連絡が来た』
「・・・何やってんだ。お前らは・・・」
『半分不可抗力なんだから仕方ないだろ。高校生活初の温泉旅行がフイになった俺たちの気持ちも考えろ。ほんとに残念なんだからな』
悔しそうに言う宮原に美鶴も思わず黙り込む。
それならいっそ日にちを変えようかと、珍しく慈悲の心が芽生えた美鶴が口を開きかけたら宮原が先に畳み掛けた。
『そんな訳で芦川、俺たちは後日談を聞かせて貰うのを楽しみにする事にした。三谷と二人きり(無限強調)で行って来てくれ!』
突きつけられたその事実に美鶴がいまさらながらあ然とした時、宮原の明らかにほくそえみながら言ったのであろう最後の一言。
『がんばれよ』
美鶴は思い切り携帯を地面に叩き付けた。
「まったくもう・・・何やってんのさ、美鶴。壊れちゃうだろ!」
目的地に向かうバスの中。携帯を撫でながら亘は文句を言った。
「ごめん・・・」
「怒りたい気持ちもわからなくは無いけどさ・・仕方ないよ。二人だけでもいいじゃん!・・・美鶴はやなの?」
じっと上目遣いに顔を覗き込まれて、美鶴は思わず顔をそらす。そして聞こえないような小さな声で呟いた。
「嫌じゃないから困ってるんだ・・・」
「え?」
目をパチクリと大きく見開く亘を見ながら、美鶴もこれまた大きなため息をついた。
カチッ!
そして同時に美鶴は自分の自制心、または理性という名の時限装置がセットされる音を確かに聞いたのであった。
「わぁっー!すごい!広い部屋だな。ホラホラ美鶴も早くおいでよ!」
旅館の広い和室に通されて荷物を部屋に放り出すと、亘は美鶴の腕を引きながらはしゃいでいる。
いまさら二人部屋に換えてもらうのもなんなのでキャンセル代は後でしっかり宮原達に請求してやる!と、美鶴は部屋を最初の4人部屋のままにしようと言ったのだ。
・・・実は狭い部屋に二人きりを何とか避けたいとの美鶴の抵抗でもあったのだが。
「よーし!じゃあ、さっそく温泉いこっ!」
ニコニコとタオルを持ち出しながら言う亘の方を見ずに美鶴が即答する。「俺は後でいい!」
「え?なんで?一緒に入ろうよ」
「いや、一人一人のほうが・・ゆっくり入れるだろうし・・」
「何いってんのさ!温泉だよ?家のお風呂と違って広いんだから、ホラホラ!早く行こうよ!背中洗ったげるからさ」
その言葉にすでに目元を抑える美鶴さん。
いつもならその切れる頭脳でいくらでもどんなでも出てくるであろう、言い訳が出てきてくれません。
そんなこんなで気がつけば亘に腕を引っ張られ、温泉に連れて行かれ、あまつさえ他に人が誰もいなくて貸しきり状態と来たもんだ。
これは運命の女神の試練なのかっっ?!
正直、お試しの洞窟の試練なんて比べ物にならない!・・・ほとんど拷問に近い時間を美鶴は必死でやり過ごした。
「・・・だいじょぶ?美鶴」
温泉から戻ってぐったりと畳に横になっている美鶴に亘は心配そうに声をかけた。
「・・・だいじょう、ぶ・・」
「ごめん、のぼせた?・・はしゃぎすぎたかなぁ」
尚も心配そうに言う亘に、美鶴は心配ないからと声をかけようと顔を上げる。
そしてまた固まってしまいました。
運命の女神の試練第二段。そこには温泉で温まったおかげで、頬や首筋をほのかに桜色に染めて。慣れない浴衣を自己流に着たせいだろう。
浴衣が着崩れて、鎖骨どころか肩口までほんのり覗かせて、目をちょっと潤ませてる三谷亘くんがいました。
「美鶴・・・?」
とどめの一撃!
可愛らしく小首をカクンと傾けられて・・ごめんなさいすみません!!気がつけば肩をつかんでました!
「どしたの?・・」
いきなり自分の肩を掴んだ美鶴に亘が不思議そうに問いかける。
自分の中の時限装置が恐ろしい勢いで進むのを美鶴は感じながら、やっとの思いで声を出した。
「・・・亘の浴衣・・」
「え?」
「着方が下手くそだな・・」
亘は慌てて自分の格好を振り返る。美鶴はちょっとホッと息をついた。とにかく関係ないことでもいいから話して、亘の視線を自分からそらさないと、とてもじゃないが間と自分の理性が持ちそうになかった。
只でさえ、尋常じゃない状況設定に自分の身が置かれているのだ。降りかかる危機は速めに振り払うしかない。
(て、いうかこの場合、危機なのは亘なんじゃないのか?)
亘は合わせ目を引っ張ったり、帯を締めなおしたりしていたがそれを見て更に苦笑する美鶴の方を見ると、頬を膨らませて怒ったように言った。
「じゃあ!美鶴が直してよ!」
・・・・・・・・・・・ハイ?
「浴衣なんて普段着ること無いからわかんないよ!そんなに言うんだったら美鶴が着せなおしてよ!」
・・え?ちょ・・いや、あの・・・ハイ?
亘は両手を広げてズズイ!と美鶴ににじり寄る。
危機を振り払うどころか、もっと大きくした危機を自分から振りかけてどうするんだ?芦川美鶴!
頭は半分パニックになりかけていたが、どの道今のままの亘の浴衣姿だって心臓に悪いのだ。
美鶴は頭を一振りすると覚悟を決めてなるべく亘の方を見ないようにして言った。
「じゃ、・・立って」
亘はすぐに立ち上がってまだ両手を広げたまま、子供のように美鶴が着せ直してくれるのを待っている。
「一回、帯解くぞ」
亘はこっくり肯いた。
美鶴は帯を解くと自分の腕にかけてゆっくり合わせ目を直し始めた。必然、思い切りお互いが近づいてしまう。
美鶴は自分の鼓動が次第に高鳴っていくのをどうする事も出来ない。
「背縫いを中心にして・・・共襟を合わせて・・」
「あっ!」
あさっての方向に視線をやり、自制心と激しい戦いを繰り広げながら着せなおしをしていた美鶴がその声にギクッとする。
「・・なに?」
「美鶴のシャンプー・・・いい匂いがする。いっつもそう思ってたんだけどさ。・・温泉入ったばっかりだからかな。今日はいつもよりいい匂いがする・・・」
亘はそう言うと美鶴の肩に手をかけて耳元に顔を寄せ、子犬のようにクンクンと美鶴の髪の匂いをかいだ。
美鶴は亘のその行為に本日3度目のフリーズ!!締めかけていた帯の手を止めて思わず呆然としてしまった。
「美鶴?・・」
いつのまにか帯を締めていたはずの手が背中に回っているのに亘が不思議そうな声を上げる。
・・・あれ?浴衣の帯って全部締めないものなんだっけ?
思い切りピントのずれたことを亘が考えてる間にも、美鶴の両の手はしっかりと亘の背中に回って亘を抱きしめ始めていた。
「亘・・・」
「美鶴?」
さすがになんかちょっとおかしいと亘が美鶴の腕の中で身じろぐ。美鶴は手に力を込めた。
「え?・・・な、なに?ちょ・・美鶴っ・・・くるし・・」
「ごめん、亘・・・やっぱり・・・無理だ」
そう言って美鶴は亘の後頭部を抑えてその瞳を覗き込んだ。美鶴の熱を帯びたまっすぐな瞳が亘の目に飛び込んでくる。
鼓動がトクンと跳ねた。
「え?・・・」・・無理って何が?・・何が無理なの?
ゆっくりゆっくり・・・美鶴の琥珀の瞳が亘に近づいてきた。亘は美鶴のその綺麗な琥珀色を見ながら動けないでいた。
どうすればいいのかわからないでいた。
「亘・・・」
これ以上ないくらい美鶴の瞳が近づいてその吐息が自分の唇にかかるのを亘が感じた時・・・
ピロロ~ピロロ~♪ピロピロピロリ~ロロ~♪
「あ!僕の携帯鳴ってる?美鶴ちょっとどけて!」
思い切り間抜けな着信音が聞こえたと思ったら、すばやく美鶴の手から抜け出す亘がいた。
「はい!・・・あ、宮原?無事かって?うん、無事着いたよ・・・え?その無事じゃない?・・・どういう意味・・え?美鶴にせめて夜までは我慢しろって言えって?・・・意味わかんないよ・・何のこと?」
亘を抱きしめた形でしばし呆然としていた美鶴は、ハッとして稼動すると亘から携帯を取り上げた。そして思い切りどす黒い声をあげた。
「宮原・・・帰ったら覚えてろよ」
そう言って暗黒オーラを発散させながらブツッと携帯を切った。
しかし、何だかんだ言ってもその電話のおかげで美鶴は少し冷静さを取り戻す事ができた。
あのままいけば、間違いなくあわやの事態に陥っていただろう。
しかし、まだまだ夜は長い。レストランで夕飯を食べて、部屋に戻ると早速次なる試練が待ち構えていた。
「わ!布団も4人分引いてくれちゃったんだね」
部屋の中でこれでもかと敷き詰められた白いお布団たち。亘が大喜びでその布団にパフンと寝転がった。
「フワフワだ!気持ちいいな」
旅館の布団というのは、なぜにこうも白いのでしょう。
そんでもって真っ白なお布団の中で転げまわる亘はなんだってこんなに可愛いんだ!!
戻ったはずの自制心が急速に遠ざかり、再び自分の時限装置が動き始めるのを美鶴は感じて頭を抱えた。
わざわざ自分から遠く離れた場所の布団に潜り込もうとする美鶴に、案の定亘が不満の声を上げた。
「なんでそんなに離れるのさ?隣に寝ればいいじゃん!それじゃ話したりし辛いよ」
「こんだけ布団があるんだから、何処に寝ようが別にいいだろ?」
全然、理由になっていない言い訳に亘は更に頬を膨らませると、ゴロゴロと近くまで転がってきてバッ!と美鶴の布団をはぐると強引に一緒の布団に潜り込んできた。
「わ、亘っ?!」
「一緒に寝る!」
半分意地になったように亘は言った。そして美鶴にぴったりくっついて来て、美鶴の理性を更に星の彼方に吹き飛ばした
「いいかげんにしろよ!亘、子供じゃないんだから!・・・」
内心のパニックを悟られないようにしながら、亘に言い聞かせようとその顔を覗き込んで美鶴は言葉に詰まる。
亘の目がかすかに潤んでいた。
「亘?・・・」
亘は美鶴の浴衣の襟を握り締めると寂しそうにそっと呟いた。
「・・・ヘンだよ、美鶴・・旅行に来てからなんかずっと・・・よそよそしくて・・僕の方見ようとしないし・・さっきはなんか怒ったようにいきなり僕を羽交い絞めにするし。
どうしてさ?・・・僕、なんか美鶴、怒らせるような事した?・・・だったら謝るからさ・・・せっかく二人で初めて来た旅行なのに・・・こんなんじゃ、寂しいよ」
美鶴は目を瞬かせた。自分がアタフタしたせいでどうやら激しい誤解を亘に招いているようだった。
抱きしめたのを羽交い絞めに取られていたのには、正直あっけに取られたが、今までの美鶴の態度を考えれば無理も無いのかもしれなかった。
美鶴はふっと息をつくとそっと亘に手を伸ばす。
そして優しく抱きしめながら囁いた。
「ごめん、亘・・亘は何にも悪くない。俺が全部悪いんだ。・・・でも、もう大丈夫だから」
「ほんと?・・」
「ああ」
心配そうに美鶴を見ていた亘はそこでやっとホッとしたように満面の笑みを浮かべた。
それを見た途端、美鶴は自分の時限装置が解除され、穏やかな想いが心を満たすのがわかった。
楽しい思い出を作りに来たのに。大切な思い出を作りに来たのに。
自分の不甲斐なさで亘を悲しませるところだった。
美鶴は優しい微笑を浮かべると、亘を抱きしめる手にそっと力を込めて囁いた。
「・・もう、寝よう」
「うん」
亘の手も美鶴の背中に回り、お互いがお互いをそっと静かに抱きしめた。
そして笑いあいながら、ふざけあいながらひとつの布団の中でいつかお互いの穏やかな寝息を聞きながら・・・眠りについた。
お互いの名を優しく呼び合うのを聞きながら・・・眠りについた。
・・・おやすみ
そして旅行から帰って、待ってました!とばかりに後日談を聞きに来た宮原とカッちゃんはその日の話を聞かれると、おもいきり顔を真っ赤にさせて俯いてしまう亘を見て、そりゃちょっと期待はしてたけどよもや、本とになにかあるなんて思わなかったから亘の反応に二人で青ざめ、まさかまさか・・芦川!お前!本当に何かやっちゃったのか?!と美鶴は半日質問攻めにされ、僕は気にしてないから別にいいよ!とか、亘が更に意味深なことを言って美鶴をかばって、ちょっと待て!俺は本当に真夜中に何かやったのか?!だとしたらまるで覚えてないんだぞ!そんなもったいない!と頭を抱える美鶴がいてそれはもう大変だったとの事です。
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