闇に包まれた世界。あるのは剥き出しの岩山や断崖絶壁。そしてあちこちに見える黒い沼。
そのあちこちの岩山のすきから黒い衣をまとって肉が焼け爛れた骨の見えた腕を伸ばしてくる者がいる。
足をつかまれた。そのまま自分達のいる暗い沼のような場所へと引きずり込もうとするのを美鶴は振り切って先に進む。
先程から何度も自分に手を伸ばしてくる・・・・彼らはおそらく自分が死に至らしめた人々の亡霊なのだろう。美鶴はそう感じていた。。
(きりがない位いるな)
美鶴の先を黒いミツルが歩いている。ミツルもまた何度も亡霊たちに手を伸ばされていたがそのつどその手を乱暴に蹴りながら先に進んでいた。
「・・・・・・」
(この先進んじゃったらもう半身の人柱の場所についちゃうぜ。いいのか?)
美鶴はなにもに言わない。只足元を見つめながらひたすら歩いていた。
(罪を犯した人間がなる半身は女神様の御許からなんてお許しいただけないぜ。暗い地獄のような場所で千年の時をただ見つめる事になるんだ)
美鶴はやはり何も言わない。今さら言うべき何事もないのだというようにただミツルの言う事を聞いている。
(我ながらバカだよな。おまえ。どうせこんな事になるんなら最後に三谷を手に入れりゃあ良かったんだ)
俯いていた美鶴が顔を上げた。
(そうだろ?あんなに欲しい人間が現れたのに逃がしてやるなんて。どうかしてるさ。お前ってそんなおやさしい人間だったっけ?)
蔑むような自嘲するような声でミツルは言った。どこか寂しげにも聞こえた。
「・・・・俺は三谷を・・・力で手に入れたくなんかない・・・」
黙っていた美鶴が静かに話し始める。
どんなに乱暴に扱おうと亘は自分を拒否しようとしなかった。受け入れようとした。限りないほどの暖かさでその手を精一杯伸ばして。
欲しいものがあったとして・・それを手に入れるのは力ではない。そんなやり方をしてはいけない。
それでは現世で嘗て美鶴や亘に害を成そうとした六年の三人組と同じなのだ。大事な事はただひたすら相手の気持ちに沿う事だ。押し付けるのではなく相手を受け入れ、自分も丸ごと相手を受け止める事だ。亘は美鶴に対していつもそうしようとしていたのだから。
「でも・・・俺はきっと・・できない」
欲しいと思えば思うほどきっと・・・相手を押さえ込む・・・
失いたくないと・・・思えば思うほど・・・俺は三谷を・・・縛り付ける。自分の負の感情を抑える事はきっと出来ない。
(・・ああ、そうだろうね。こんなに欲しいと思った奴・・・初めてだもんな・・・)
でもしたくない。そんなことはしたくない。
自分は人殺しだ。償いきれない罪を背負っている。縛り付けて・・・そんなものを共に背負わせるような事はしたくない。
でも・・亘は美鶴が望めば多分・・・受け入れてしまうだろう。
そんな重い事柄でさえきっと受け入れようと・・・するだろう。
(それじゃダメなのか?三谷が受け止めてくれるなら・・・よかったんじゃないのか)
ミツルの声のトーンが変わる。美鶴の方を振り向かないままミツルは続けた。
(アイツが自分の意志で・・・自分で決めて・・全てを知ってそれでも尚、側にいてくれるなら・・・お前の抑えきれない負の部分もまるごと受け止めようと・・・もし、してくれるなら・・・それでも良かったんじゃ・・・ないのか?・・・)
ミツルの姿がぶれていく。後姿がぼやけていく。
小さく・・・小さく・・・幼い姿になって・・・美鶴を振り返った。その瞳に涙をたたえて。
(一人ぼっちはやだよ・・・)
(・・・さみしくてさみしくて・・・死んじゃうよ・・・)
7歳の頃の美鶴だ・・・両親が事件を起こし・・幼いアヤまでも道連れにして・・・逝ってしまった・・・
そしてたった一人・・・自分だけが残された、あのときの美鶴だ。
(一人にしないで・・・側にいて・・・誰か側にいて・・・)
幼いミツルは泣きじゃくる。小さな肩を震わせて。
美鶴はそっとその肩を抱いた。そしてその髪に顔をうずめる。
「・・・・そうか・・・」優しい声で、でも限りなく寂しい声で・・・美鶴は言った。
「おまえ・・ずっといたんだ・・・一人でずっといたんだな・・・」
泣きじゃくりながら幼いミツルは美鶴に抱きついた。こんなに小さいのに・・・こんなに幼いのに。
たった一人でずっと。・・・・こんな暗いところに・・・・いたんだな・・・
黒いミツルはもう一人の自分だ。それは美鶴の負の結晶なのだと思っていた。傲慢や憎悪や殺意・・・
でもそれだけではなかった。同時に美鶴の悲しみの結晶でもあったのだ・・・
胸が痛い。悲しみが溢れる。歯を食いしばって美鶴はその悲しみに絶えた。一人きり・・・ただ一人きり・・・
つらい・・・苦しい・・・悲しい・・・
そして素直に呟いていた・・・自分自身を抱きしめながら。泣きそうな声で。
「寂しいよ・・・三谷・・」
悲しいよ・・・・三谷・・・
ふいに自分以外のぬくもりを感じた。幼いミツルと自分を背後から手を伸ばしてまるごとギュッと力強く抱きしめる。
「・・・大丈夫・・・」
その声を聞いて美鶴は信じられないというように目を見開いた。
「大丈夫・・・もう寂しくないよ・・・」
幼いミツルが顔を上げる。その声の主を確認すると泣くのをやめた。そして次の瞬間まるで天使のような微笑を浮かべる。
「僕がずっと側にいるよ。ね?・・・大丈夫」
幼いミツルの姿が美鶴の中にゆっくりと溶けはじめた。
まるで赤ん坊が・・・母親の心音を聞いて安心して眠りに落ちるように・・・安らかな顔で・・・
「おかえり・・・・」消えていくミツルに亘は優しい・・優しい・・・声をかけた。
「三谷・・・!」驚愕した声をあげて美鶴は亘を振り返る。亘は笑っていた。
「・・・なんでっ!・・・どうしておまえ・・・ここに・・」美鶴は動揺していた。いまの出来事さえすぐ頭に入らないほど。
「・・えーと。よくわかんない・・女神様に芦川のいるところに連れてってくださいっ!てお願いしたら何時の間にかここにいたんだ」
「女神に?」
「うん。芦川と僕を半身にしてくださいって祈ったら来れたんだ。・・・いいって事かな?」
あまりにもケロッと言う亘に美鶴は言葉が出てこない。
「・・・バッ・・・カ・・」何を言ってるんだ。お前何を言ってるんだ。どういうことか判っていってるのか。
「帰れ」その一言をやっと搾り出す。
「どうして?」「どうしてじゃないだろっ!」美鶴は怒鳴った。
「・・・だって、芦川・・・寂しいんでしょ?・・・いまそう言ってただろ」
「・・・・そ、れは・・・」
「僕は芦川を一人にしないよ。・・・それは変わらないよ・・・」
亘は瞳に強い決心の色を浮かべながら続ける。
「ずっと側にいるっていっただろ・・・ずっと一緒にいるって・・・言っただろ・・・」
亘はまっすぐ美鶴を見た。
「・・・芦川・・聞いて・・聞いて欲しい事が・・・あるんだ」亘が次の言葉を口に出そうとした瞬間だった。
ズシャァァッー!
その音を聞くより速く美鶴が飛び出し亘をかばっていた。亘は何が起きたのかわからず倒れこみながら轟音のしたほうを振り返る。
──・・・・死神だ・・・──
そうとしか表現できなかった。髑髏の頭。黒いマント。そして・・・そして巨大な・・・鎌・・・
まるで物語に出てくるような・・・ゲームに出て来るような・・・死神そのものだった。
その死神は大鎌を振りあげて二人に襲い掛かってきた。
美鶴は亘を抱えあげると宙にとんだ。「番人だ・・・」「え?」美鶴にしがみつきながら亘は聞いた。
「半身を番する番人だ。半身以外の人間がもしここに現れたら消すようにいいつかってるんだ・・」
巨大な鎌が頭上に降ってきた。美鶴がすばやく何かを口で唱えた。魔法だ。
ものすごい速さの竜巻が現れ、番人を飲み込んだ。けれど押しつぶされるかに見えたその姿は一度チリとなり竜巻を抜け出し再びもとの姿に戻る。美鶴が舌打ちする。
「やっぱり利かないか・・・」体を宙で反転させて亘を抱えなおす。「わぁっ!」
そして近くの岩山に降りると亘を下ろした。
「お前はここにいろ」「い、いやだよ」亘は跳ね起きると慌てて言った。
「いいか。アイツは俺を探してもいたんだ。半身であるはずの俺を見張るのもあいつの仕事なんだから。だから俺が出て行って人柱の場所まであいつを連れて行く。お前はその間に現世に帰れ」
逆らうのは許さないといった断固とした口調で美鶴は言った。亘は唇をかみながら叫んだ。
「いやだっ!絶対やだ!」
「三谷!」
自分にしがみつき美鶴を行かせまいとする亘を振り切ろうとした時
再び大鎌が振り下ろされ二人を宙に跳ね飛ばしていた。
PR