美鶴はヴィジョンにいたときと同じ魔導師の姿をしていた。
黒いロープをひらめかせ、宝玉のついた杖を持っていた。
そして・・・その後ろには・・・黒いミツルも立っていた。
亘はゆっくり二人に近づいた。そして美鶴の目をまっすぐに見て言った。
「・・・全部、思い出したの?・・・」
「大体な」
本当の自分の過去。自分の願い。幻界の存在。・・・自分がその幻界で何をしたか。
・・・・自分の犯した罪を・・・
そして・・・・そして・・ハルネラ。
・・・自分が千年の時を見つめていかなければならないハルネラの・・・・半身である事。
「芦川・・・」
俯きながら亘は苦しそうに声を出す。何かを言わなければならない。でも何を言えばいいのかわからない。いま、やっと・・・やっと、ここまで来たのにという思いがあるのに・・・
何をどうすればいいのか亘には見当もつかなかった。
美鶴とミツルが同時に動く。その姿はほとんど重なっているように見える。ゆっくりと亘に手を伸ばしてきた。
「え・・・?」暗い何もない場所。いるのは美鶴と自分だけのほかの全ては遮断された世界。
それでもその世界が少しだけ反転するのがわかった。
トスン・・・
「三谷・・・」美鶴が亘を見下ろしていた。そして亘は美鶴を見上げている。両の腕を押さえ込まれ、仰向けに押し倒されている事に気づいた。
美鶴は苦しそうな、悲しそうな顔で亘を見ている。「芦川・・・?」
(今、俺がお前を欲しいといったら・・お前はどうする?)
黒いミツルが聞いた。悲しそうな顔をしていたがどこか不敵な笑みも浮かべていた。
「何・・・言ってるの?」戸惑いながら亘は尋ねる。
(言葉通りだよ。お前は逃げないで俺の言うとおりにするか?できるか?俺の物になるか?)
いま、美鶴とミツルはほとんど重なって一人の姿になっていた。まるでぶれたテレビの画面のように時折二人に分かれている。
(ずっと・・・思ってた。俺もこいつも、ほんとはずっとお前が欲しかった・・・)
「ぼくは・・・物じゃないよ・・・」睨みながら亘ははっきりと言った。
グッと亘の胸倉を掴むと美鶴は乱暴に亘を引き寄せた。そして顔を近づけ亘の耳たぶを口に含み思い切り噛んだ。
「・・・っ!!・・・あっ・・」亘が驚愕して美鶴を突き飛ばそうとした。が、美鶴はびくともしなかった。噛まれて血が滲んだ耳たぶを美鶴は今度はゆっくりとその舌でなめた。ビクリと亘は震える。震えて縮こまった肩を美鶴は引き寄せ自分の腕の中に封じ込めた。
「嫌なのか・・・?」
苦しそうな声だった。つらそうな声だった。頼むから自分を拒否しないで。どうか否定しないでと・・・懇願するような声だった。
「芦川・・・」
亘は目をつぶり、そっと息を吐く。両手を美鶴の背に伸ばした。そしてその背を優しく撫でる。小さな子供にするように。
「・・・・嫌じゃ、ないよ・・・」優しく優しく・・・亘は答えた。
「・・・芦川・・・僕を見て・・こわがらないで・・ここにいるから。僕はここにいるから」
亘は美鶴の頬を両の手でそっと包み、俯いていた顔を上げさせた。
「そんなことしなくても・・・僕はいるよ・・・いなくなんかならない。・・・絶対に芦川を一人にしたりしないから」
美鶴が顔を上げる。姿がぶれてまたはっきりと美鶴とミツルに分かれた。
「もう、そんなことしなくていい・・・そんなことしなくても・・・・僕は・・・芦川とずっと一緒だから」
だから。力で誰かを手に入れようとなんかしないで。それは・・・そんなことは本当は美鶴が・・・一番嫌いな事のはずだよ。
美鶴とミツルの姿が揺らめいて亘から離れる。美鶴の頬のぬくもりが亘の手から去ってゆく。
「芦川?」
「お前って本当にお人好しだな」美鶴の声が一転して、聞いてるこちらがゾッとするほど冷たくなった。
「・・・え?」
美鶴は笑っている。ミツルもまた歪んだ笑いを浮かべていた。
「お前、わかってるのか?それがどういうことなのか、判っていってるのか?」
何を言いたいのだろう。亘は美鶴が何を言いたいのか図りかねて瞳を揺らす。
「俺は半身だよ。」吐き出すように美鶴は言った。亘の目が見開いた。
「・・・一緒になんかいられない。・・・・そうだ。俺はもう・・・現世にだって・・・帰れない・・・」
美鶴の声が小さくなってゆく。なにもかも思い出したいま。何もかも判ってしまったいま。
おそらく帰る事なんか出来ないだろう。いや、もし帰れたとしても・・・帰るわけには行かない・・・
「芦川っ!」
美鶴の姿が消え始めた。亘は慌てて手を伸ばして美鶴の手を掴もうとしたがその手はむなしく宙を掴んだ。
「三谷・・・俺は人殺しだよ・・・・」
「・・・・・・!」
・・・それを知ってしまったいま・・・自分がやった事を全て思い出したいま・・どうして元の世界に戻る事が出来る?
「ちがう・・・ちがうよ!・・・芦川!」
「何が違うんだ?」
(そうだよ。何が違うんだ?俺は人殺しだよ。こいつは人殺しだよ)美鶴にミツルがシンクロする。
(どうしたってその事実は消えない。お前がいくら側にいてくれるといったところでそれを消す事は出来ない)
「そうじゃない・・・!そうじゃなくて・・・」
亘は必死に言葉を捜す。消えてゆく美鶴に必死に手を伸ばしながら。・・・亘は泣いていた。宝石のように涙を頬に転がしていた。
違う!違うよ。美鶴。行かないで!行かないで!消えないで。
・・・・僕の側から離れないで!
「・・・・泣くなよ」消えかかりながら美鶴はそれでも寂しそうにそっと微笑んだ。
「もう・・・俺の為になんか泣くなよ・・・」
悲しそうな響きの中に少しだけの嬉しさが混じる。・・・バカだな。お前・・・本とに、俺なんかのために。
泣くなよ・・・もう泣くなよ・・・
サァッ・・・
美鶴のロープが舞い上がった。あたりに亘の涙が真珠のように舞い散る。ふいにおでこに何かが触れた。
・・・暖かい・・・・美鶴の・・・唇だった。見上げた美鶴の瞳に涙のしずくが飛んでいた。
それは・・・亘のものだったのか・・・・それとも・・・
「さよなら」
簡単な一言。永劫の別れの言葉。けれど今まで聞いた美鶴のどんな声より・・・・悲しそうだった。
「・・・・・!」
声にならない叫びが亘から上がる。
どうしてどうして?・・・・声が・・でないの?・・・
全てが暗闇になる。どんなに目を凝らしてもどんなに探しても・・・
美鶴はもう・・・どこにもいなかった。
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