「・・・・言ってないのに・・・」
美鶴に取り残され、一人暗闇にいた亘は絞り出すようにやっと声を出した。
「まだ・・・言ってないんだよ・・・」
ポロポロと涙をこぼしながら亘は呟いた。
「・・・・・・」
次の瞬間。亘はバッと顔を上げた。手の甲で涙をぬぐう。腰にかけられていた勇者の剣が光っていた。
亘は剣に手をかけ握り締める。剣は諦めるな。大丈夫だとまるで亘を励ますように光り輝いていた。
・・・そうだ。・・・・まだ。まだだ!・・・まだのはずだ。
もしこれが美鶴だけの心の旅だったのならもう自分は現世にかえっていてもいいはずだ。でもまだ自分は勇者の姿をしてここにいる。
そうだ!旅はまだ終わってない。亘は片手を握り締め、自分の胸に当てる。目を瞑ってラウ導師のいった言葉を思い出す。
──おぬしが望んだから・・・・ミツルは現世におるんじゃよ
・・・・そしてミツルもまた、それを強く望んでいた・・・半身の戒めを解くほどに──
そう、自分が願っていただけではないはずだ・・・美鶴もまた・・願っていてくれたはずだ。お互いの魂が呼び合ったからこそ共にいるのだ、と。それは偶然ではなかったのだと。・・・・ラウ導師は言ったのだ。・・・・そう女神様さえ、手を施せないほどに・・・美鶴と亘はお互いを欲していたのだから。
剣を握り締めながら亘は強く叫んだ。大きく大きく天高く届くようにと声を張り上げた。
「芦川・・・っ!僕を芦川のとこへ・・っ・・・行かせてください!」
剣が光る。目の眩むような閃光が亘を包んだ。思わず目を瞑る。「わぁっ!」身体が宙に浮いたのを感じた。
グオオッー
次の瞬間。ものすごい熱風を感じた。息が出来ない。亘は恐る恐る目を開ける。
森が燃えていた。目の前にある全ての物を飲み込む勢いですさまじい炎が立ち上っていた。
悲鳴をあげて、たくさんの人々が逃げ惑っていた。大人も子供も・・・赤ん坊を連れた母親も・・・恐怖の声をあげ・・・助けてくれと叫びながら・・・これは・・・
これは・・・美鶴のおこしたあの森の火事?亘の前に火に飲まれながら走ってくる男の姿が見えた。
亘は駆け寄りその手を掴もうとした。手応えがない。亘の手は男の手をすり抜けた。
(無駄だよ)
すぐ後ろから声がした。どこかで聞いた声だ。いつも聞いてる声だ。
(これはアイツの記憶だよ。今起こってる事じゃない。忘れたの?)
振りかえる。息のかかるところにソイツはいた。じっと亘を見てた。
「・・・・そうだったね」
黒いワタルに亘は言った。
「何時からいたの?・・・」(ずっと・・・ずっといたよ。側にいたよ)
うん。そうだよね。だって君はぼくだもの。もう一人のぼくだもの。
(もう、やめろよ)黒いワタルはそっけなく言った。
(芦川なんてもういいじゃん。現世に戻ってまた楽しくやろうよ)
ワタルは亘の背後から手を伸ばし小さな子供のように抱きついてきた。
(本とはそう思ってるんだろ?もういいやって)
「・・・そんなこと、・・ないよ・・」否定しながらも何故か語尾がかすれた。
ワタルは耳元で更に囁いた。(本とに?本とに?こうやってアイツがやった事。間近に見て、それでもまだアイツと友達になるって言える?)
次々と炎に飲まれてゆく人々。豊かだった森はただの炭の塊になってゆく。何の罪もない人たちが・・・死んでゆく・・・
(これは全部。全部。ぜーんぶアイツがやった事だよ)ワタルは嬉しそうに更に亘にしがみつく。
(これだけじゃない。幻界だってアイツのせいで滅びるとこだったじゃないか。だからアイツは半身になったんだ。それくらいしなきゃ女神さまだってアイツの罪なんかお許しにならないさ)
ピクリと亘が震える。半身・・・半身。・・・千年の時をただ見つめ続けなければならない・・・ハルネラの・・・半身。
(いくら一緒にいるって言ったって半身のアイツと一緒にいられるわけないだろ)はしゃいでいた筈の黒いワタルの声が少し・・・小さくなった。
(・・・無理だよ・・・無理なんだよ・・・これだけの事ぼくたちに受け止めれるわけない・・・そうだろ。はじめから・・アイツと友達になるのなんか・・・無理だったんだ)亘の首にしがみつきながらワタルは苦しそうな声を出す。
無理なんだ・・・そうだったの?無理だったの・・・?
亘は自分の心に問い掛ける。これだけの事をした美鶴を・・・自分は本当に・・・受け入れる事が・・・出来るのか?
受け止める事が・・・できるのか?・・・
正直言って・・・そんな事は・・・わからない。
でも。
亘はそっとワタルに手を伸ばした。「・・・でも、なりたいんだ・・・」言い聞かせるように。諭すように語り掛けた。
「・・・側にいたいんだ・・・例え美鶴の側にいることで僕自身がどんなに苦しむ事になっても・・・それだけは・・かわらない。・・・美鶴のそばにいたいんだ。・・・そうなんだよね?」
言い聞かせながら亘は亘自身の心を確かめる。亘とワタルの同じ心の奥底を。
ゆっくりと頷きながらワタルは涙を流していた。もう一人の自分。黒いもう一人のワタル。でも心の奥底は僕と同じなんだ。
美鶴の側に・・・いたいんだよね。ミツルと一緒に・・・いたいんだよね・・・
黒いワタルの姿がぼやけてくる。
そうだ。美鶴と友達になる。一緒にいるという事は美鶴のしてきたこと全てを受け入れるという事でもあるのだ。
美鶴の犯した過ち・・・犯した罪を・・・目をそらすことなく共に背負っていく覚悟が必要だという事だ。
美鶴が全てを知ってしまった今。それは絶対に避けて通る事は出来ないのだから。
そして美鶴はおそらくそれをすべて一人で背負うつもりなのだ。半身になる事で。
アヤや叔母や愛する人がいればこそ美鶴は現世に戻る事はできない。それらを話す事も、ましてや彼女達に背負わせる事は美鶴には
絶対出来ないのだから。
・・・・亘にも。
・・・・僕にも?・・・そう思ったの?美鶴・・・
・・・大切だから・・・愛してるから・・・・何よりも何よりも・・・・大切だから・・・そんな物を負わせたくない。
・・・それなら・・・一人でいい・・・オレハ・・ヒトリデイイ・・・
黒いワタルがゆっくりと亘の中に溶けてゆく。二人の想いが亘の中に溢れていく。
・・・美鶴・・美鶴・・・僕は・・僕たちは君の側にいたい・・・いたいんだよ。
たとえ美鶴がどんな過ちを犯したとしても・・・そしてハルネラの半身だったとしても。
・・・・・諦めない。諦めないんだ。
僕は決めていた。今度こそ美鶴の悲しみに美鶴の苦しみに・・・・寄り沿うのだと決めていたんだ。
なら。答えはひとつ。
美鶴の行くところへ僕も行こう。君が背負うものを僕も背負おう。
君が行こうと決めた場所に・・・僕も行こう・・・
もう離れたくないから。ずっとそばにいると決めたから。
亘は跪くと祈るように両手を組んで呟いた。知らず口からその言葉が漏れた。
「ヴェスナ・エスタ・ホリシア・・・ヒトの子の生に限りあれど、命は永遠なり・・・」
女神様・・・どうか許してくださるなら・・・僕を・・・美鶴の側に・・連れて行って・・・ください。
僕はまだ・・・言ってないんだ。・・・・美鶴に言ってない言葉があるんだ。
剣が再び光り始めた。今度は溢れるほどの光になって亘を包み、そして天高く亘を舞い上げた。
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