暗い・・・暗い場所・・・一筋の光さえ差さない。どちらが地面でどちらが天井かもわからない。
体がフワフワ浮いてる気さえする。
それなのにアイツの姿だけは何故かはっきり見える。
(相変わらずしけた顔してるな。)ソイツはニヤリと笑って続ける。
(そんなに三谷を手放すのがつらいのか?)
美鶴はソイツをまっすぐ睨み返す。ソイツも美鶴をまっすぐ見つめ返す。口元にはまだ不敵な笑みを浮かべたまま。
(だったら手に入れればいいだろう?なに躊躇ってるんだ)
「お前は誰だ?・・・・」
ソイツはもう一度ニヤリと笑った。(見てわからないか?お前だろ?)
もう何度目だろう?例の夢を見始め、亘と意識して距離をとり始めてから、今度は美鶴はソイツと何度も遭遇するようになった。
ソイツ・・・・そう、暗い場所、暗い影、そして・・・・黒い姿をした・・・自分。
自分の姿をしたソイツは何故か宝石がついた杖を持ち、マントのようなものを羽織って異世界の住人のような姿をしている。
そしてソイツは時も場所も選ばない。はじめは夢の中の出来事だと思っていた。
自分が眠っている間に見ている夢の中の出来事だと。
でも違う。気が付けばソイツはどこだろうと現れる。突然美鶴の周りの光を奪い、有無を言わせず自分と対峙させる。そして同じ事を問う。
(グダグダ言ってないで三谷亘を手に入れろ。そうしたいんだろ?)
「消えろ」獅子の咆哮のような鋭さで美鶴はソイツに退去の言葉を叩きつける。
ソイツは笑ったまま消えてゆく・・・
美鶴の周りに光が戻る。ゆっくりと・・・美鶴の部屋が形をなし・・・戻っていった。
美鶴は勉強机の前に座っていた。明日の授業の予習をしていたのだ。そこにアイツは突然現れた。
現れる回数が頻繁になっていた。美鶴はイラついた。・・・・アイツは何なんだ・・・
あんな奴が現れなければならないほど自分は亘を思っているんだろうか。亘を欲しているんだろうか。美鶴は舌打ちすると知らず持っていた教科書を床に叩きつけた。
「お兄ちゃん・・・?」
何時の間にかアヤが部屋に入ってきていた。美鶴はハッと顔を上げる。
「アヤ・・・」
「お兄ちゃん。怖い顔してるよ。どうしたの?」
「なんでもない。心配ないよ」美鶴は優しくいった。
アヤは美鶴をじっと見つめるとそっと膝の上に乗ってきた。もうずっと小さいころからアヤは寂しいとき、悲しい事があったときそうやって美鶴の膝に乗っかってきた。
美鶴はアヤの小さな肩をそっと抱き寄せながら言った。
「どうした・・・?」
「お兄ちゃん・・・大好き」美鶴の首にしがみつきながらアヤは囁いた。フッと美鶴の肩から力が抜ける。アヤの髪をなでながら美鶴も囁いた。
「ああ・・・お兄ちゃんもだ」
「アヤが・・・大好きだよ」
この世でたった一人の自分の肉親。誰よりも大切で愛しい存在。アヤがいなければ多分自分は今まで生きてこなかった。
「お兄ちゃん。それをね。アヤ以外にもちゃんと言わなきゃダメなんだよ」「え?」
美鶴にしがみついたままアヤは続ける。
「大好きだよって言葉をね。言わなきゃダメなの。わからないんだよ」
「・・・・アヤ以外でそんな奴いないよ・・」アヤの髪に顔を埋めながら美鶴は言った。
「お兄ちゃん。嘘もついちゃダメなんだよ。」顔を上げアヤは美鶴をキッと睨んだ。
「ちゃんと言わなきゃ伝わらないんだって。相手の言葉をきちんと聞かないでココロを閉じちゃダメって・・・叔母さん言ってたもん。」アヤの顔が泣きそうに歪んだ。
「好きだよって・・・大切だよって・・・い、言わないからケンカしちゃうって・・・・アヤ、アヤ、ケンカ大嫌い!・・・」
アヤはポロポロ涙を流しはじめた。
「どうして、好きなのにケンカするの?どうして仲良く出来ないの・・・・大好きなら仲良くすればいいのに・・・」
「アヤ・・・お兄ちゃんは誰ともケンカなんかしてないよ」
しゃくりあげるアヤを抱きしめながら美鶴は宥めるようにいった。
「ウソ・・ウソ!お兄ちゃんのウソツキ!ずっと、ずっと、ずっと・・亘お兄ちゃんとケンカしてるくせに!」
「アヤ・・・」
「アヤ。わかるもん!見てればわかっちゃうもん!」
両親の事件の事をアヤはほとんど覚えてはいないはずだった。けれどもそれでさえ幼いアヤには何らかの影響を残したのだろうか。アヤは殊のほか人同士の争いに敏感だった。なによりもケンカを嫌った。
「ケンカなんかしてない・・・」
「ウソ!」
「本とだよ。アヤに嘘はつかない」アヤの目を見つめながら美鶴は真剣に言った。目尻をこすりながらアヤは聞いた。
「ほんとう・・・?」「ああ・・・」
「亘お兄ちゃんはお友達?・・・」「・・・・そうだよ」
「本とに本当ね?」「うん・・」
「よかったぁ!」言いながらアヤは今度は嬉しそうに美鶴に抱きついた。美鶴もアヤを抱きしめ返す。
大切な大切なぬくもり。何よりも失いたくない大事な・・・・けれど・・・
・・・・思い出す。・・・抱きしめた両手が忘れてはくれない。もうひとつのぬくもりを・・・
(三谷・・・)
アヤ以外の誰かのぬくもりが忘れられなくなる事があるなんて美鶴は夢にも思わなかった。
そしてまたアイツの言葉が浮かんだ。
(欲しければ手に入れればいい・・・・)
自分の脳裏に浮かんだその言葉を美鶴は打ち消しアヤを抱き締める手に力をこめた。
一方、亘は三橋神社でラウ導師に会ってからある一つの決心をしていた。
ラウ導師の言った心の内を旅するということが何を意味するのかいまだにはっきりとはわからなかったけれど導師は言った。お互いの心の内を見る事だ、と。
ならばすべき事はひとつしかない。美鶴とまずしっかり向き合う事だ。どんなに美鶴がごまかそうとしても。とぼけようとしてもそれに負けないで亘の気持ちを伝える事だ。
そう。まだ伝えていない一番大切な言葉をはっきりと美鶴に伝える事だ。亘はそう心を決めていた。
「芦川」それから幾日かたったある日。学校が終わって亘はまっすぐ三橋神社にやってきた。空の翳った日だった。もしかしたら夕方からは雨になるのかもしれない。
美鶴はベンチに腰掛けていた。珍しく本を読んでいなかった。何かを考え込むように前を見ていた。ゆっくりと亘の方を振り返る。
「・・・今日はいるような気がしたんだ・・・」
「・・・・・・」
亘と距離をとり始めてから美鶴は一人でここに来る事もしなくなっていた。出来るだけ亘と二人きりになる状況を作らないよう意識していたから。
「隣に座ってもいい・・・?」
「ああ・・・」亘の方は見ずに美鶴は答えた。ストンと亘は隣に腰掛ける。そしてしばらくただ静かにそうしていた。
「あのさ・・・芦川・・」亘はゆっくりとしゃべり始める。どう話せばいいんだろう。どう伝えればいいんだろう。
どうすれば自分の気持ちが美鶴に伝わるんだろう・・・・。
思うより早く・・・言葉にするより先に・・・気がつけば亘はそうしていた。
美鶴が目を見開く。いきなり自分を包んだ暖かさが何なのかわからなくて。
「三谷・・・」
亘は美鶴を抱きしめていた。どんな言葉より今はそれをする事が正しい気がしたから。
両の手を美鶴の背中に回して美鶴の肩口に顔を埋めて。美鶴の存在する全てを漏らす事のないように全身全霊で・・・抱きしめた。
美鶴の肩が震える。亘の腕を掴んで引き離そうとする。
「芦川ッ・・・芦川!逃げないで。お願い!」亘は手に力をこめる。
「三谷・・・離せ・・」つらそうな美鶴の声が聞こえた。
「やだ!いやだ。お願いだから離れないで。僕の話を聞いて・・・!」
亘は必死にしゃべりながらしがみつく。美鶴。美鶴・・・僕を見て!
「言いたい事があるんだ。ずっと伝えたかった事があるんだ!・・・芦川にっ・・・芦川に・・」
美鶴の手が亘の背中に回った。グッと力をこめて亘よりも強く抱きしめ返された。
(え・・・?)亘は顔を上げ美鶴を見る。美鶴はもう片方の手で亘の頬を包んだ。そしてかばうように自分の方に強く亘を引き寄せた。
「また、お前か・・・」亘を見ずに前を睨んで美鶴は言った。
(え?だれ・・・?)気が付けばずいぶんあたりが暗くなっている。天気が悪かったとはいえ暗すぎる気がした。
あれ?おかしいなそんなに時間たってないはずなのに・・・
(よかったな。ほら欲しいものが向こうから飛び込んできた)
クスクス笑いながらソイツは言った。黒いミツル。黒いミツルだ!亘は驚いた。
(久し振りだな。ワタル。俺のこと覚えているかい?)
黒いミツルは亘に手を伸ばす。その手を美鶴が思い切りはらうと亘を更に強く自分の方へ引き寄せ抱きしめた。
(怖いな。そんなにワタルが大事なんだ?)「消えろ!」強く美鶴は言い放つ。
(嫌だね。だって俺はお前なんだから。お前が何時も隠そうとしているだけで俺は何時もお前の側にいるおまえ自身なんだから・・・)
目を細めて黒いミツルは続けた。嘲るような声だった。
(ずいぶん、むしのいい話じゃないか。俺のことは忘れて自分だけいい思いをしようなんて。あれだけの人間を殺してあれだけの罪を犯した人間が!)
亘はハッとして顔を上げた。そして叫んだ。
「芦川!聞いちゃダメだ。ソイツの言う事をきいちゃダメだっ!」
(そうさ。ワタルを手に入れればいい。自分の願いをかなえるために幻界を滅ぼそうとまでしたお前なんだから。欲しいものを手に入れるために何でもすればいい)
亘を抱きしめる美鶴の手の力が緩む。「ヴィ・・・ジョ・・ン・・?」美鶴の頭の中でその名が反響する。
ヴィジョン・・・
ヴィジョン・・・それは・・・知らない名では・・・ない。
「芦川!聞かないでっ!」美鶴の手からすべりでて亘は黒いミツルに飛び掛る。
そのむかって来た手を黒いミツルは難なく掴むとグイ!と亘を引き寄せ息のかかる距離まで顔を近づけた。
「消えろっ!」両の手を封じられながらも亘は睨みながら叫ぶ。
(冷たいな。俺だってミツルだよ。そうだろ?俺だって何時もお前が欲しかった)
そう言って掴んでいた亘の手の指を口に含みカリッと歯を立てた。
「・・・っあ!」亘が顔をゆがめる。指から血が滲んだ。
(でも欲しいものを二つもなんて贅沢すぎないか?)「何・・・?」
美鶴が覚醒したように顔を上げる。嫌な予感が頭をよぎる。
(罪深きお前が贅沢するのは身の程しらずってことさ)
そういって黒いミツルは杖を掲げる。とたんに視界が明るくなり周りの景色が見える。
(見てみろよ)黒いミツルが杖を向けたその先には・・・・
消防車のサイレンの音と共に煙が立ち昇るのが見えた。あれは・・・あの方向は美鶴のマンションのある場所だ。
「アヤ!」
叫ぶと同時に美鶴は走り出していた。
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