最近同じ夢をよく見る。
詳しい内容はわからない。
ただ業火の中逃げ惑うたくさんの人々を上から見下ろしている。
泣き叫ぶ人々。でも逃げ場所はない。美鶴はただそれを見下ろしている。
誰かが美鶴に気づく。助けてくれと手を伸ばす。
美鶴はその手を取らない。
不意に画像がぼやける。
今度は美鶴が見下ろされている。
誰かが横になった美鶴を抱えている。自分は傷ついているようだ。
ポタッ・・・何かが美鶴の頬に落ちる・・・
自分を抱えている誰かは泣いている・・・誰だ?・・・
声が聞こえる。自分を呼んでいる。
・・・・ミツル
・・・・・・ミツル
・・・・・・・・・・いっしょにかえろう・・・
・・・・・・誰なんだ?・・・
「おにいちゃん!」
ハッとして前を見る。目の前をトラックがすごい勢いで通り過ぎた。
「信号、赤だよ」アヤがミツルの手を引き心配そうに顔を覗き込む。
「ああ・・ごめんよ。ちょっとボーっとしてた」
「どうしたの?まだ眠いの?」
「違うよ。何でもない大丈夫だ。」
アヤはまだ心配そうにしていたが、信号の向こうの人物に気づいたとたんに嬉しそうな声をあげた。
「亘おにいちゃん!」
信号の向こうで亘が手を振っていた。美鶴は顔をしかめた。
「おはよう。芦川。アヤちゃん」
「おはよう!亘おにいちゃん」
「・・・・・・」何も言おうとしない美鶴をアヤがにらむ。「おにいちゃん。おはようは?」
美鶴はしぶしぶ口を開く。「・・・おはよう・・」
それを見て亘はプッと吹き出した。
「芦川って本とアヤちゃんには弱いんだね」亘は嬉しそうに笑う。
三橋神社で亘が美鶴に絶対友達になる宣言をしてから、亘は美鶴がどんなに無視をしようが一向にこたえない。呼び方まで何時の間にか「芦川」と呼び捨てだ。
どうやらこう、と決めると亘は相当手ごわいようだった。登校時間の待ち伏せに始まって休み時間ごとに話し掛けてくる、給食時間は隣にくる。小村がとめるのも聞かない。
美鶴も負けじと、一方的に話しているのを無視していれば「じゃあ、いいんだね」と気が付けば亘と飼育係をやることになっていた。
無視することがまるっきり逆効果になっているのでさすがの美鶴もうなり始めた。
でも美鶴が一番苦々しく感じているのは・・正直なところ・・嫌ではないことだ。
亘がそうやって自分に関わって来ることに・・どこか喜んでいる自分がいることだ。
(くそっ・・・)
認めたくない。自分は自分の領域に誰をも踏み込ませないと決めていたはずだ。
なのに・・・
亘がそばにくるとトクンと胸が跳ねる。気が付けばその姿を探している自分がいる。
どうすればいいのかわからない感情が美鶴を襲う。
・・・そしてあの夢を見始めた・・・
「芦川。今日放課後、僕らがウサギ小屋の掃除だからね」
中休み。例によって美鶴に一方的に話し掛けながらそばにいた亘は中休みの終了チャイムと同時にそう言った。
「さぼっちゃだめだよ」美鶴に反論させる隙をあたえず、亘は席に戻った。
(・・・・・)
どうしようか。美鶴は悩んだ。亘を無視してさぼるのは簡単だ。
以前の美鶴なら迷うことなくそうしていた。
けれど・・新しく美鶴の中に芽生えた感情がある事柄を伝える。こう言っている。
三谷亘をもっとよく知りたい、と。
亘にもっと近づきたいと。
そしてその感情はもう美鶴自身が抑えることの出来ないくらい大きくなっているのを
美鶴は認めざるを得なかった。
亘がウサギ小屋にいくと美鶴はその前で待っていた。
「あ」亘が嬉しそうに声をあげる。「よかったー!ちゃんと来てくれたんだね」
ウサギ小屋の鍵をジャラジャラさせて亘は美鶴に近づいた。
「芦川。ウサギ小屋の掃除初めてでしょ?簡単だから。古くなった餌とか捨ててそれと・・・」「知ってる。前の学校でもやってた」ボソリと美鶴は言った。
(あ・・・)亘はウサギ小屋の鍵を開ける手を止めた。
「芦川・・・あの」・・・美鶴の叔母は言っていた。
前の学校で美鶴は可愛がっていたウサギの耳をイジメグループにきられたのだと。
その相手を美鶴は殴って怪我をさせてしまったと。
そしてそのことが原因となって美鶴はクラスで孤立してしまったと。
「なに」美鶴は亘を見ずに答える。無視をしていたはずの美鶴は何時の間にか亘に返事を返してくれるようになった。でもまだあまりこっちを見てはくれない。
「・・ううん。じゃあ、芦川もともとウサギ好きだったんだ。よかった。」
亘は努めて明るく言った。今そのことを聞くべきではない。そう思った。もっと、もっと仲良くなって・・・美鶴も僕を掛け替えのない友達だと思ってくれた時に話してほしい・・・
美鶴。つらかったんだろ?悔しかったんだろ?悲しかったんだろ・・・・
掃除をしているあいだも美鶴はほとんど口を聞かなかった。
亘がしゃべりかけると簡単な相槌を打つくらいだ。
でも亘は感じていた。前の美鶴とは違う。以前の美鶴は全身で亘を拒否していたが今の美鶴はそこまでの拒否感を出していない。
亘は素直に嬉しかった。
「終わったね」
鍵をかけながら亘は言った。「おつかれさまでしたー。ね?芦川、帰りアイスクリームでも買ってどっかで食べていかない?」
「・・・・・」
「あ、もちろん。お母さんや先生には内緒だよ。黙ってれば平気だしさ。僕けっこうカッちゃんとやってんだよね」エヘへ・・・と亘は笑う。
美鶴は何も言わない。やっぱりまだ無理かな・・ふと顔を上げる。
思いがけず近くに美鶴の顔があった。びっくりして亘はぽかんとしてしまった。
ゆっくり美鶴の手が亘の頬に伸びてきた。
「え・・・・」
何がおきているのか亘にはわからない。
「お前・・・何なんだ?・・・」美鶴が言う。
「お前・・誰なんだ?・・・」確かめるように美鶴の手が亘の頬をなでる。
美鶴は何を言ってるんだろう。問われている言葉の意味がわからなくて亘はただ黙って美鶴を見詰めるしかなかった。
「お前は一体・・・」
美鶴が苦しそうに言葉をつなげようとした時・・・
「よ~ぉ・・久しぶりだなぁ。イケメン転校生くん」
(あ!)以前美鶴に絡んだ問題児の6年3人組が現れ、ニヤニヤしながら近づいてきた。美鶴は亘から離れると振り返って3人を睨んだ。
「何か用か・・・?」
「いやぁーこの前はずいぶん失礼しちゃったからさー俺たち反省したわけ。やぁっぱ!ちゃんとあやまんなきゃってさぁ。俺たち以外とキチンとしてんだぜぇ」
「それはどうも。でも日本語の勉強はしなかったようだな」
「そーそーだから、教えてもらおうかと思ってさ」
一人がポケットから手を出す。ナイフを握っていた。パチンとそれを開く。
「あ、芦川」亘は思わず美鶴の腕にすがりついてしまった。
「おとなしく俺たちに付いてきなよ。たっぷり思い知らせてやるからよ」
美鶴に腕をひねり上げられた6年が思い切り美鶴を睨みつけながらすごんだ。
よっぽど根に持っていたのだろう。
亘は一瞬頭が真っ白になってしまった。どうしよう。もう学校にもほとんど人の残っていない時間だ。
こんな所に通りかかる生徒はいない。先生を呼びに行きたくても3人が周りを囲んでしまった。
「こいつは関係ない」美鶴が言った。亘ははっとする。
「俺がいればいいんだろう。こいつは帰せ」
「あ、芦川!ダメだよ。そんな!・・・」
「そーよ。ダメよそいつだけ帰しちゃって誰か呼ばれたらどーするのぉ」
3人がギャハハと笑い出した。美鶴が舌打ちした。
「さぁ、こっちこいよ」
ウサギ小屋の更に奥にあるもう使われていない物置小屋に連れ込まれた。
廃材や使われなくなった古い窓が放り出されている。
中に入ると割れたガラスを踏むパキパキという音がした。
「お前ら本当に頭が悪いな」美鶴が言った。どう見ても絶体絶命の状況なのに美鶴の声は落ち着き払っていた。
「なんだと?」3人が色めき立つ。
「そうだろ?仮にも学校の敷地内でこんなことして。これがばれたらいくら義務教育の年齢だといっても先生方が黙っちゃいない。へたすりゃ学校にいられなくなるさ。」
「ばれたらの話だろ。そんなへまするかよ」
「だから頭が悪いって言うんだ」美鶴は腕を組んで出来の悪い生徒に言い聞かせるように続けた。
「ここに俺を含めてお前らがこれからやることの証人が二人もいるって言ってんだ。俺一人ならともかく先生の信頼厚い三谷亘くんが一緒だって事さ。こいつに手を出せば先生方は絶対黙っちゃいない。この状況はどう考えたってお前らに不利なんだよ。わかったらこいつを帰せ。わざわざ不利な状況を作りたいのか?」
「芦川?」美鶴の様子は必死だった。亘は目を見張る。
「だったらしゃべれなくなるくらいコテンパンにやってやるさ」3人はまたギャハハと笑った。
美鶴は顔をゆがめた。話が通じないと悟ったらしい。
「頭の悪い奴には何言っても無駄だな・・・」次の瞬間亘はぞっとした。
美鶴からものすごい憎悪のパワーを感じたのだ。そのあまりのすさまじさに吹き飛ばされるかと思うほどに。
それから亘は何が起きたのか良くわからなかった。ナイフを持った相手が笑いながら美鶴に突っ込んできたと思った瞬間。美鶴は亘の前から姿を消していた。
そして次には相手の後ろに回りこみ、片手で相手の首を。もう片方の手でナイフを持った相手の腕をつかみあげていた。
「う、あ、ぐぇぇっ」
見る間に相手の顔が白くなる。ギリギリ・・・と音がするほど美鶴が相手の首を締め付けているのだ。
ボーゼンと見ていたのこりの二人がはっとして慌てて美鶴に飛びかかろうとする。
美鶴は締め上げていた相手を放し、残りの二人組みにむかって思い切り突き飛ばした。
「うわぁっ!」倒れかかられ、3人もろとも床に転げる。
床に落ちたナイフを美鶴は拾うとゆっくり3人に向き直り、そのナイフの刃先を向けた。
「誰からがいい?」穏やかな声で美鶴が言った。いっそゾッとするほどに。
「ヒ、ヒェェッ」3人が後ずさった。
「何おびえてるんだ?お前らから仕掛けてきたんだろ?こんな玩具みたいなもの使えば俺たちがお前らの言うことを聞くと思ってたんだろう?違うのか?
頭の悪い奴らはみんな同じだ。力さえ使えば何でも思い通りになると思ってる。そうだろ?」
美鶴がゆっくりひとりの頬にナイフの刃先を当てる。
「俺は許さない。自分の都合で人を傷つけるお前らみたいな存在をぜったい許さない。」
ナイフを持つ美鶴の手が動く。刃先に力がこめられる。3人は震え上がってもう声も出ない。
「芦川っ!」
美鶴の動きが止る。亘が美鶴に背中から抱きついていた。
「もういい・・・もういいよ。芦川・・・」
美鶴に抱きつく腕に力をこめ、亘は泣いていた。
美鶴の手からナイフが滑り落ちカラン・・・と音を立てた。
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