放課後。家に帰る道すがら亘は長いため息をついた。
例の6年の3人組との事件以来、美鶴は亘を一切無視していた。
いや、無視ならまだいいと思う。
美鶴は文字通り亘を見もしないのだ。まるでそこに存在しないかのように。
亘は何度か接触を試みたのだが、取り付くしまもなく無駄に終わった。
ほかのクラスメイトには普通に接していると言うのに・・・
カッちゃんが見かねて、おい!おまえ!いいかげンにしろよ。
亘が声かけてんだろ。と
何度か美鶴に言ってくれたのだが、そのつど美鶴は
ああごめん気をつけるよといいながら次にはまた亘を無視した。
カッちゃんは堪忍袋の緒が切れたらしく、図書室での件も噂になっていたため、亘!あンなヤツもうかまうな、と言ってしまいには
亘を美鶴の側にさえ行かせてくれなくなってしまった。
まさに八方ふさがりの状態にさすがに亘もめげそうになってきた。
公園の前に通りかかった。中に入ってベンチに腰掛ける。頬に受ける風が心地よい。
少し一人でいろいろ考えたかった。
ふと空を見上げる。季節は秋に移ろうとしていた。真っ青な空に切れ切れな雲が浮かんでる。
その雲が風にゆっくりとたゆたっている。
綺麗だな。
幻界も現し世も空はかわらなかった。
かわらないその存在を時々見上げては亘は自分を
元気付けていたような気がする。
(キ・キーマ・・・ミーナ・・元気かな・・・会いたいな)
こんな時二人ならなんと言ってくれるだろう。
幻界での出来事は日々亘の記憶から薄れてきていた。
亘自身、あれは時々夢だったのかも。とさえ思うことがある。
でもそこで得た気持ちは、想いは、幻界のみんながくれた想いは
今この世界の亘を強くしてくれた。それだけは間違いなかった。
美鶴はどうなのだろう。
この世界の美鶴はどうやら幻界でのことは覚えていない。
幻界での美鶴はたくさんの罪を犯した。例えアヤのためだったとはいえ、それは事実だ。
だからむろん亘も美鶴がそのことを覚えてて苦しむくらいなら、
覚えていない方がいいと思うのだが
一方で今の美鶴はあの幻界での美鶴があってこそ、存在してるのも間違いない気がするのだ。
そうでなければ美鶴の傍らにアヤがいるわけがないと思う。
だとすれば・・・・
やはり今の美鶴にはもう、三谷亘は必要ないのだろうか。
美鶴は美鶴で超えなければならない何かを背負ってこの世界に戻ってきて、そしてそれにはもう亘は関わるなという事なのだろうか。
(一緒に帰ろう)
あの時亘はそう言った。
(一緒にサッカーやって、ゲームして・・・中学にも・・・)
不意に涙がにじんできた。幻界から帰ってきて多少なりとも強くなったと思っても涙もろいのはそう簡単には変わらないのかな・・・
望んでいることはシンプルなこと。美鶴と友達になりたい。そばにいたい。
それだけなのに・・・
「おにいちゃん」
呼びかける声に顔を上げるとそこにアヤがいた。
亘はびっくりして思わずベンチから立ち上がってしまった。
「ア、アヤちゃん!」なんでここに?亘はあわてて涙をぬぐった。
「どうしたの?アヤ。知ってる子?」
向こうからきたのは美鶴とアヤの叔母だった。
「うん。ほら!このおにいちゃんだよ。学校で美鶴お兄ちゃんをいじめようとした悪い人たちからかばってくれたおにいちゃん。」
「え・・・」亘は思わずアヤを見つめた。
「アヤ、ちゃんと見てたんだよ」
気が付くとアヤの小さな手が亘の手をそっと握っていた。
「どうしたの?今度はおにいちゃんがいじめられたの?」
アヤが心配そうに亘の顔を覗き込んだ。「ち、ちがうよ。」
「何でもないんだ。ちよっと、えーと。おなかが痛かっただけ。」
「大丈夫なの?」美鶴の叔母が聞いた。
「あ、は、はい大丈夫です。」美鶴の叔母は亘をじっと見ている。亘はどぎまぎした。
幻界に旅立つ前にも亘は美鶴の叔母に会っている。そのときもとても綺麗な人だと思ったけど今も相変わらず綺麗だった。でも以前に感じた痛々しい雰囲気はない気がした。
「美鶴の友達?」唐突に聞かれて亘はえ?と聞き返した。
「あ、ごめんね。わたし美鶴の叔母なんだけど」
まさか知っていますとは言えないので僕は三谷亘といいます。と自己紹介した。
「残念だけど・・・まだ友達じゃないんです。」勤めて明るく亘は言った。
「まだ?」
「僕の片思いって言うか・・・僕は友達になりたいんだけど、芦川くんは嫌みたいで・・・」
「ええ~そうなの?なんで?なんで?おにいちゃん変!」アヤが顔を膨らませて文句をいった。
アヤ、とたしなめながら叔母は続けた。「美鶴、クラスで浮いてるのかしら?」
心配そうな声に亘はあわてて首を振る。「そうじゃないです!クラスのみんなとは
ちゃんと仲良くしてます。そうじゃなくて・・・僕が芦川くんをちょっと怒らせちゃって・・それで・・・」「怒らせた?」叔母がびっくりした顔をする。
ああ・・しまった。また余計なこと言っちゃった。
「美鶴が怒ってるの?あなたのこと?ほんとに?」
「はい・・・」肯くしかなかった。
「ああ、そうか変なヤツってあなたのことね」え?亘は顔を上げる。
叔母の表情はとても嬉しそうだった。そして真顔になると言った。
「三谷くん・・・だっけ。ほんとに美鶴と友達になる気あるのかしら?」
「え?は、はい」叔母はまた嬉しそうに微笑む。
「美鶴はね。あのとおりのポーカーフェイスでしょ。怒ったとこなんて私だって見たことないわ。
もしかしたらアヤだってよ。わかる?身内にさえ感情を表さないのよ。」
何が言いたいのだろう。亘にはよく意味がわからなかった。
「三谷くんは美鶴のこと・・・うちの事知ってもそれでも・・・・美鶴と友達になってくれる?」
叔母の声が慎重になった。亘はじっと聞いていた。
「アヤ」「なぁに?」公園のブランコで遊んでいたアヤに叔母がお金を渡しながら言った。
「これでそこのコンビ二でお茶買ってきて。アヤの好きなお菓子ひとつ買っていいから」
アヤははしゃいでコンビニに駆けて行った。
その後姿を見ながら静かに話し始めた。「美鶴とね・・・アヤの親はもう亡くなってるの・・」
亘は静かに目を閉じた。ああ・・やっぱりそうなのか。
「美鶴のね・・・誕生日の日だった・・父親がね。母親を刺しちゃったのよ。」
「馬鹿な親でしょ?私の兄だったんだけどね。奥さんの浮気現場を見て逆上しちゃったのよ。
奥さんも奥さんだけどね。なんだって自分の子供の誕生日に浮気なんかするのかしらね!」
憤りながらそれでも自分を落ち着けようと叔母は深呼吸した。
「兄はアヤにも手をかけようとしたらしいの。アヤは奥の部屋で昼寝してたらしいんだけど。
そこに美鶴が帰ってきて、必死に父親を止めたのよ。」
「そのうち悲鳴にびっくりした隣の家の人が駆けつけて、その有様にびっくりして警察を呼んでくれたの。」
「でも錯乱していた兄は美鶴が止めるのも聞かないで家を飛び出して、そして・・・自殺したわ。」
少しの沈黙が訪れる。
「その後わたしは社会人になるのを待って、親戚中をたらいまわしになってた美鶴とアヤをひきとったわけ。はじめは苦労したわ。美鶴、口も聞かないんだもの。」
叔母は苦笑する。「わかるでしょ?あの子何時だって感情を殺してるのよ。笑ったり、怒ったり泣いたりしたとこ、私は見たことない。」
亘は息を飲んだ。それくらい叔母の目は必死だった。
「でもそんなの変よ!だってあの子、まだ11歳よ。まだ子供なのよ。友達と笑ったり遊んだり、泣いたりする年なのよ・・・」
叔母はまっすぐ亘を見た。
「友達になってあげて・・・お願い。」
「美鶴と友達になってあげて・・・美鶴を一人ぼっちにしないであげて・・・前の学校みたいに・・・」
「前の学校で何かあったんですか?」
叔母は少しの間沈黙したがゆっくり話し始めた。
「一人の子にね・・・怪我をさせちゃったのよ。」
「たいした怪我じゃなかったわ。特定のいじめグループがあって、その子たちにターゲットになっていた子を美鶴がかばったら今度はそいつら美鶴をいイジメはじめたの。
だけど美鶴はあんなだから全然こたえなくて・・・そしたらその子たち・・・」
叔母は辛そうに言った。
「クラスで飼ってたウサギの耳を切ったのよ。美鶴が飼育係で特に可愛がっていた・・」
「そんな・・ひどいや。」
「美鶴はやった本人に殴りかかって相手の前歯を折っちゃって・・・その子の親がものすごい勢いで怒鳴り込んできて美鶴に謝れって言ったんだけど美鶴は絶対謝らなかったの」
「そしたら、その親はこう言ったわ。やっぱり親も親なら子も子だわって・・・」
胸が痛い。美鶴はどんな思いでその言葉を聞いたのだろう。それを考えたら亘は泣きたくなった。
「そのうちクラスでもほとんど口を利かなくなっちゃって・・・ずっと一人だったわ・・」
美鶴があそこまで人を遠ざけるのは、自分を傷つけたくない為かと思っていた。
でも違う。おそらく美鶴は何よりも人を傷つけることを恐れているのだ。
感情を爆発させ、それをぶつけて誰かを傷つけることをきっと何よりも恐れてる。
それくらいなら自分はずっと一人でもいいと思うほどに。
「友達になります」きっぱりと亘はいった。
「芦川くん・・・すぐにはなってくれないかもしれないけど・・でも、僕は友達になりたいんです。絶対に。」
「三谷くん・・・」叔母は嬉しそうに微笑んでいた。「ありがとう」
「ほんと?」何時の間にかアヤが戻ってきていた。
「亘おにいちゃん、ほんとに美鶴おにいちゃんとともだちになってくれる?」
アヤのその呼び方にくすぐったいものを感じながら亘はうんとうなずいた。
「うん!必ず友達になるよ」
「やったぁ!そしたらアヤすごく嬉しい」
三谷くん。叔母がアヤの手を取りながら亘にそっと・・・まるで秘密を打ち明けるようにささやいた。
「美鶴が自分から友達のこと話したの、あなたが初めてよ。」
「それが例え変なヤツって言葉でもね。」
いたずらっぽく笑った。「それとね。」
「美鶴この時間は必ず三橋神社にいるわ。」
亘はそれを聞いて自分でもびっくりするほどすぐに駆け出していた。
「亘おにいちゃーん!今度遊んでね」走っていく亘にアヤが叫んだ。
もう日が暮れかかっている。
三橋神社の境内は茜色に染まり始めていた。
境内の中のベンチに美鶴はいた。一人かけて本を読んでいた。その横顔も茜色に染まってる。
ゆっくり近づく亘にまだ気づいていない。
美鶴の運命はアヤがそばにいることになった以外は何も変わっていなかった。
両親は亡くなり、若い叔母に引き取られることになったことも変わらない。
そう考えれば亘と同じに美鶴も今の運命を受け止めなければならない試練を抱えて現し世に戻ってきたことになる。
だったら。
だったら今度は一緒にそれを受け止めよう。一緒に乗り越えよう。
今、わかったんだ。
例え美鶴に僕がいらなくても僕には美鶴が必要だって。
だから。
「芦川ぁ!」亘は叫んだ。もう、「くん」はいらない。
美鶴が振り向いた。「僕、あきらめてないから」
大声で叫ぶ。この気持ちが、この想いが声と共に美鶴の中に入っちゃえばいい。
「友達になるから。絶対友達になるから。」
大きく目を見開く美鶴をまっすぐ見詰めると亘は踵を返して去っていった。
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