タイセツナボクノキミ
時々呪文のように唱えるんだ。
──タイセツナボクノキミタイセツナボクノキミタイセツナボクノキミ
だってそうしないとキミはボクにタイセツに思われてることさえ、すぐに忘れてしまうような気がするから。
美鶴は神経質そうでいて、すごく無神経で無頓着なとこがある。
たとえば、誰もが振り向くほどのあんなに綺麗な羨ましいほどの容姿をしているって言うのにそれに対しての執着というものはまるで無いんだ。
下手をすれば朝、髪にブラシをしてくることさえ、たまに平気で忘れたりして来る。
見かねた女子が美鶴にブラシを貸してくれて、でも美鶴はめんどくさそうに「サンキュ」とかボソッと言ってそれを受け取って2、3度髪を撫で付けておしまい。
(それで、あっという間に決まっちゃうのがまた、腹立たしいんだけど。ついでにいうと、そのブラシは後で女子の間でプレミアが付いたりするんだけど)
それと関係するのかわからないけど、自分の体調管理いわゆる健康管理についても、ものすごくルーズなんだ。
美鶴はあの通り、本の虫だから夢中になる本が現れるとそれを読み終えるまで平気で2日徹夜とかしたりするし、何かに夢中になると食事をする時間も惜しいらしく、一食抜いたりするのなんかざらだ。
そして我慢強いからなのか、本とにめんどくさいからなのか、体育の授業で突き指した指を一週間もほっといて悪化させたこともある。
さすがにその時は、僕とアヤちゃん二人がかりでガツンと美鶴を怒ったのでかなり堪えたようだったけれど。
僕は何時だったか美鶴に聞いたことがある。言った事がある。
「美鶴、もっと自分の体のこと考えなきゃダメだよ!何かあってからじゃ遅いんだよ?わかってる?」
あんまりそういうことが続いた時、半分怒って僕は言ったんだ。
でも、美鶴はチラッと僕の方を見てポツッと小声でこう言った。
「亘やアヤが怪我したり、病気したりしなけりゃ別にいい」
僕の問いかけに対する答えには、全然なってない返事を返され、あまつさえ目はものすごく真剣だったりしたもんだから、僕は何か言おうと思ったのにそれ以上は何もいえなくて、思わず顔を赤くして俯いてしまった。
(美鶴に真剣な顔で見つめられると心臓がドキドキするんだよっ!)
でも、違う。
そうじゃないんだよ。
そういう事じゃないんだよ。
美鶴が僕や、アヤちゃんに怪我や病気をして欲しくないって思ってるように、僕だって美鶴のそういう姿はゼッタイ見たくないんだ。
美鶴がそんな目に会うのはゼッタイ嫌なんだよ・・・
だから、もうちょっと気をつけて・・・
もう、少し自分のことを考えて・・・
「三谷、芦川休み?珍しいね」
「え?ていうか、今日は朝から委員会の打ち合わせがあるからって、美鶴先に行ったんだよ。来てないの?」
空がよく晴れてすッごく気持ちのいい日。カッちゃんと笑いながらおしゃべりして学校に来て教室についた途端、宮原からそう聞かれて僕はポカンとした声で答えた。
何時もは待ち合わせて学校に来るけれど、美鶴は今日は宮原と委員会の打ち合わせがあるからと、僕より早く学校に行ったんだ。
だから、僕は久しぶりにカッちゃんと裏道を通ったりしながらのんびりと学校に来た。
美鶴はてっきりもう、学校にいると思ってた。
「あれ?そうなんだ。いや、俺もヘンだなって思ったんだけど・・・じゃあ、どうしたんだろうな?」
僕も首を傾ける。美鶴が無断で学校を休むなんて(少なくとも僕に黙って)有り得ない。
ゾクゥッ!(え?)
僕はいきなり、背筋がものすごくゾッとして、もう初夏だって言うのに両手で自分の体を思わず抱き閉めた。
──え?・・・なに?なに?
なんだか、心臓もドキドキしてきてものすごく、落ち着かない気分になってしまった。
美鶴に何か悪いことがあったんじゃないか。・・・何か厭な事があったんじゃないか。
そんな考えが頭に浮かんで離れなくなってしまった。
これが、もしかして虫の知らせって奴・・?
「ねぇ!ねぇ!大変ーー!!この先のビル工事してるとこでクレーン車が倒れる事故があったんだって!それで、誰か大怪我したらしいんだけどそれがうちの生徒らしいって先生方が大騒ぎしてるよ!」
「!!」
クラスの女子が駆け込むようにして教室にやってきて、そう叫んだ。
僕はそれを聞いて弾けるように顔を上げた。
同時に宮原も少し顔を青ざめさせて僕を見た。
──美鶴だ!
僕はなぜかそう確信して、叫んだ女子に駆け寄って掴みかかるように聞いた。
「それ・・その怪我したコ・・・どうしたのっ?!病院に運ばれたの?・・・先生方、なんか言ってなかったっ?!」
僕の剣幕にその子はビックリした顔をしてたけど、一生懸命聞いたことを僕に伝えようと小さな声でそれでもハッキリ教えてくれた。
「えっとね・・・えっとね・・たしか、救急車で城東病院に運ばれたっていってたよ!」
僕はそれを聞くと教室から飛び出して、病院に向かって一目散に走った。
「三谷!待てよ。落ち着け!」
後ろの方からそう叫ぶ宮原の声が聞こえたけど、僕はそれでも止まらなかった。
病院に着くと丁度、救急車から病院の中に運ばれた直後らしく、玄関先がバタバタしていた。
僕は走って中に入ろうとする一人の看護士さんの手を無理やり掴むと、早口で聞いた。
「あのっ・・・あの!僕、いま怪我して運ばれた子の友達なんです!・・・大丈夫なんですか?
怪我・・・怪我ひどいんですかっ・・・?会えませんか?!」
ビックリした顔をして僕を見ていた看護士さんは、僕の肩をそっと掴むと同じくらい早口で言った。
「・・ああ、そうなの。ごめんなさい。私は看護士だから詳しいことはわからないわ・・でもね・・今日は・・多分会えないと思うわよ。・・・あ、でも心配しないで!クレーン車に直撃したわけじゃないらしいから。
たまたま近くを歩いてたのかしら・・・近寄らないよう看板が出てたらしいんだけど。さ、あとは先生方に任せておけば大丈夫よ」
そう言って、僕の肩をぽんぽんと叩くと急いで中に入っていった。
僕はその後姿を見送りながら、しばらく呆然としていた。
結局大怪我をしてたのはやっぱり美鶴で。
全治2週間の怪我、という判断がなされて入院することになった。
アヤちゃんや、叔母さんや宮原やクラスのみんな(カッちゃんさえも)が挙って病院に駆けつけたり、お見舞いに行ったりしたけど僕は結局、その病院に駆けつけたとき以外美鶴の入院中、一度もお見舞いに行かなかった。
「三谷・・・芦川の奴、今日退院じゃないか・・?」
それから2週間たった日の放課後、教室の掃除をしている時、恐る恐るといった感じで宮原が僕に話し掛けてきた。
僕はホウキを動かしながら、興味がなさそうに「ふぅん」とだけ返事をした。
「いや、ふぅんじゃなくてさ・・・行ってやらないの?」
「何で行かなきゃいけないのさ?」
「や、いや・・なんでって・・・三谷、1度も見舞いにも行って無いだろ?」
宮原は困ったように口の中でゴニョゴニョ言うように呟いた。
僕はホウキを掃除箱に仕舞うと、置いてあったカバンを背負って先に教室を出た。
「もう、退院ならそのうち学校にも来るだろ。別にその時までわざわざ会わなくたっていいよ。
大体近づいちゃダメな工事現場の近く、歩いてたりするから事故に巻き込まれたんじゃん。自業自得だよ」
宮原は当惑したように僕を見ていたけど、これ以上何か言っても無駄だと思ったのかその場で大きなため息をついていた。
僕は少しだけ、宮原に悪いなと思ったけど。
でも。
でも。
行きたくなかった。会いたくなかった。会うもんかと思った。
ゼッタイにゼッタイに。
僕からは美鶴に会ってやらない。
そう、決めていた。
僕は家に向かって走りながら、唇をかんで少しだけ涙が出そうになった。
カチャ・・
「あれ?」
自分の家に着いてカギを開けようとドアに手をかけたら、カギはかかっていなくてドアが開いていた。
こんな早い時間にお母さんが帰ってきてるんだろうか?僕はドアをそっと開けながら中に向かって声をかけた。
「お母さん・・?もう、帰ってるの?ずい分・・はや・・」
言い終わらないうちにいきなりドアを掴んでた方の片手を掴まれて、すごい力で玄関の中に引っ張り込まれた。
「わぁっ?!」
あんまり勢いよく引っぱられたので、僕はバランスを崩して思い切り倒れこんだ。
でも、倒れこんだ場所は床の上じゃなかった。乱暴に引っ張りながらも咄嗟に僕が自分の上に倒れるように手を引く用意周到な相手。
そしてそのまま、どうやら片手らしいけど相変わらず、すごい力で僕の背中を抱きしめてくる相手。
そんなのは一人しかいないんだ。
僕は顔を上げて、すぐに抗議の声を上げた。
「美鶴!!」
まだ、あちこちに包帯を巻いて、所々に痛々しいくらいあざを残して。
それでも思い切りしかめっ面をしながら、僕を抱きしめる手を緩めようともしないで。
僕の顔をまるで迷子の子供のような瞳で、見つめる美鶴がいた。
「離してよ!」
「いやだ」
僕は床に手を突っ張りながら、美鶴の手から逃れようとした。
美鶴も上半身を起こしながら、僕を離すまいと手に力を込めてくる。そして一瞬後痛そうに顔をゆがめて、肩を跳ね上げた。
それを見て、僕も思わず抵抗するのを止めてしまった。そして美鶴の肩にそっと手を当ててポツリと言った。
「美鶴・・ほら、バカ・・退院したばっかりなのに・・無茶するから・・」
「・・・お前のせいだろ」
美鶴は僕の肩口に顔を埋めると、苦しそうな声で聞いて来た。
「何で一度も来なかったんだよ・・・」
僕はその言葉を聞いて胸の中が少しだけチクンと痛んだ。
そして思った。行くべきだったのかもしれない。行ってあげるべきだったのかもしれない。
美鶴にこんな思いをさせるべきじゃなかったのかもしれない。
そう、思った。
でも。
僕は美鶴の肩をそっと掴むと、僕の肩から離して向き合った。
苦しそうな辛そうな、普段の美鶴からは想像も出来ないなんともいえない美鶴の顔がそこにあった。
でも、僕は目をそらさなかった。目をそらさないでまっすぐ美鶴の目を見た。
そして・・・
ぺチン!
美鶴はその瞬間、大きく目を見開いてその次には何が起きたんだろうと文字通り目を真ん丸くさせていた。
そして信じられないといった感じで、僕が叩いた方の自分の頬をそっと手で撫でていた。
「心配させた」
僕は睨みながら美鶴にハッキリと言った。美鶴は更に目をパチクリさせてポカンとしていた。
「心配させた」
僕はもう一度、ハッキリと言った。言葉と一緒に涙が溢れてきた。
美鶴はそこでようやくハッとしたらしく、かすかなかすれたような声で言った。
「・・・・ごめん」
「ごめんじゃない!・・・死ぬほど死ぬほど心配させた!」
「・・・ごめん、・・なさい」
「・・・死ぬほど心配させた」
「ごめんなさい・・」
「心配っ・・させ、・・た・・」
「ごめんなさい・・」
何度いい続けても足りないような気がして、僕は気がつけば泣きながら「心配させた」を繰り返していた。
そう。
気づかなきゃダメだ。
美鶴も気づかなきゃダメだ。
美鶴が怪我や病気をするたび。悲しくて悲しくてつぶされそうになる僕がいるって事に。
美鶴もわかってくれなきゃダメだ。
わざと怪我した訳じゃない。
わざと心配かけた訳じゃない。
そんなのはわかってる。わかってるんだ。
でも。
ダメだから。
それでもダメだから。許さないから。
美鶴が傷つくのは見たくない。
美鶴が辛そうな姿は見たくない。
僕にそんな風に心配かけるのはゼッタイゼッタイ!許さない・・・・許さないんだからな!
いつの間にか美鶴の胸に縋ってしゃくりあげながら泣いてる僕に困ったような微笑を浮かべて。
「ごめんなさい」を繰り返しながら、美鶴は僕の背中をいつまでもいつまでも優しく撫でていた。
その後、少し落ち着いて、二人でリビングに移動して紅茶を入れて飲んだ。
僕は泣き腫らした目をこすりながら(相当照れくさかったけど今さらだよ)今回の事故で一番不思議だったことを聞いた。
「それにしても何で美鶴、あんな危険な場所歩いてたのさ?いつもは僕に危ないとこばっかり行くなって注意してるくせに」
美鶴は僕のその言葉を聞くと、飲んでた紅茶のカップをソーサーにおいて、少し顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
僕はその美鶴の態度をいぶかしげに見つめると叱るように言った。
「どうせまた本読みながら歩いてて、夢中になって道を間違えたりしたんだろ?」
「どんな本を読もうが、俺はそこまで夢中になって道を間違えたりしない。・・・本じゃない」
そう言って美鶴はシャツの胸ポケットから小型の冊子のようなものを出して、ポンとテーブルに置いた。
僕はなんだろうとそれを手にとって、パラパラと中を開いた。
「!!!」
「朝から見てるもんじゃないな。時も場所も危機感覚もなくなって夢中になる。これからは気をつける」
「なっ・・なっ・・バッ・・バッ・・こ、こんな物・・こんな物見て夢中になって怪我なんかするなーーー!!
み、み、美鶴の大バカッッーーー!!」
冊子のような物は携帯用のミニアルバムで。
そのアルバムにこれでもかと収められている──僕の写真──を、僕は真っ赤になって思い切り叫びながら美鶴に向かって放り投げた。
美鶴が目を細め、微笑みながらボクの頬に手を伸ばして近づいてくるのに気づきながら。
──タイセツナボクノキミタイセツナボクノキミタイセツナボクノキミ
キミがボクに呪文をかけるようにボクもキミに呪文をかける。
タイセツなタイセツなボクのキミがその事を忘れないように・・・・ボクもキミに呪文をかける・・・
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