その手
その手 その指 その爪 その指紋が 私を強く握り締めて
百ある手からその手を探し出す事はとても簡単な事でしょう
付き合うってどういうことなんだろう。
一般に女の子と付き合うって言ったら、それはお互いを好きで交際するって事だよね。
いつも一緒にいたいから。一緒に出かけたり、遊んだりしたり・・・
たまに、照れくさそうに手を繋いで歩いたり・・・そういう事をお互いが望むから『付き合う』ってことになるんだよね。
・・・・でもさ。
じゃあ、僕たちの場合はどうなるんだろう。
今までだっていつも一緒にいて、すぐ傍にいて。時々は一緒に遊びに出かけて。
ずっとずっと、そうしてきてそれが当たり前で。
でも。
「亘と付き合いたい」
ある日の放課後、中学校から帰る途中、ほかに誰もいない三橋神社の境内を二人で歩いてる時、唐突に美鶴にそう言われて僕は思わずポカンとしてしまった。
美鶴の顔があんまり真剣だったから、冗談じゃないことはすぐにわかった。でも、内容が普通じゃないこともすぐにわかった。
だから僕はなんて返事していいのか、まるでわからなくて立ちすくんだまま、目をパチパチさせていた。
その内美鶴がすごく哀しそうな顔をし始めて、僕からの返事がないと思ったのか黙って先を歩こうとしたので、僕は慌てて声を出した。
「い、いいよ!」
美鶴はピタリと立ち止まるとゆっくり僕の方を振り返った。
そしてジッと僕を見る目がいまの返事をもう一度促してるのがわかったから、僕は少し顔を赤くして俯きながら小さな声で言った。
「いいよ・・・」
気がつけばすぐ目の前に美鶴が立ってて、嬉しそうな切なそうな微笑を浮かべて、自分のおでこを僕のおでこにコツンと当ててきた。
・・・・触れ合ったおでこがやけに熱く感じた。
それから一週間。
でも、僕たちは相変わらずなわけで。
もともと昼休み一緒にお弁当食べたり、登下校を一緒にしたりなんてずっとやってたことだし。
休日は一緒に出かけたり、そうでなかったらどっちかの家にいて一日一緒に過ごすなんて事もよく考えたらいっつもやってることなんだ。
僕は正直、美鶴がああは言ったけど今までの僕らの付き合いと何ら変わった事をしょうとしないのを見て、美鶴がどういうつもりであんな事いったのかわからなくなってしまった。
なんだろう。
僕が『好き』って意味で『付き合おう』って言ったんじゃなかったのかな・・・。
それとも、あんまり深い意味は無くて『これからも友達としてよろしくな』ってそんな程度の意味だったのかな。
僕は考え始めるとますます訳がわからなくなって、なんだか哀しい気持ちになってきた。
・・・・美鶴のことがわからなくなってきてしまった。
「ねぇ。カッちゃん。『付き合う』ってどういうことなんだろうね?」
「へ?」
昼休みの屋上でカッちゃんとお弁当を食べてる時に僕はカッちゃんに聞いてみた。
美鶴は委員会の仕事があっていなかった。
「なんだよ、亘。まさか、誰かと付きあってんの?」
紙パックのジュースを口に含みながら、少し驚いた声で聞いてくるカッちゃんに僕は少しどもりながら返事を返した。
「え、んと、そ、そういう訳じゃないけど・・ホ、ホラ、クラスの皆もよく言ってるじゃん!誰と誰が付き合い始めたんだってーとかさ。
でも、どういう事が、『付き合う』ってことなのかなって・・・なんかいまいちよくわかんなくて・・」
「そりゃーやっぱりよ。どっか一緒に出かけたりとか、まぁ、ぶっちゃけ手ぇつないで歩いたり、それ以上の事するのが一般で言うお付き合いじゃないの?うちの店に来てるカップルの客なんかすごいぜ。目の前でチューしてみたり、抱き合ってみたり」
カッちゃんのストレートな物言いに今度は僕が飲んでいたジュースを噴出しそうになってしまった。
「要するに友達以上の事をしたいから付き合うんだろ?」
「・・・友達以上・・」
「だろ?そうだろ?そうでなきゃ意味無いじゃん」
──意味無いじゃん──
僕はカッちゃんに言われたその言葉を頭の中でしばらく反芻していた。
じゃあ、やっぱりいまの僕と美鶴はとても付き合ってるなんて言える間柄じゃない。
「だから要するにお互いの気持ちだろ?」
「え?」
「だから、手つなぎたいとかキスしたいとか相手に対してそういう思いがあるのかどーかだろ?」
言われた言葉を僕は思わず頭の中でシュミレーションして、真っ赤になってしまった。そして叫んでしまった。
「そ、そ、そんなことしないよ!」
「なんで?好きなら当たり前じゃん。だから付きあいたいんじゃん」
ジュースを飲みながら、いとも簡単にそういうカッちゃんにもう、僕は何もいえなくて俯いてしまった。
「亘、今日帰り図書館によって行きたいんだけど、いい?」
放課後、玄関で靴を履き替えながら、美鶴が聞いて来た。僕は頷いて返事を返した。
美鶴は学校の図書室の本はあらかた読破してしまったので、最近は区立の図書館の本を片っ端から借りているようだった。
図書館に着くと大量の本を机の上に持って来て、その一つ一つに目を通しながら、今日はどれを借りようかと考えてるようだった。
僕はそんな美鶴の目の前に座りながら、お気に入りのミステリー作家の本に目を通す。
でも、なんだか今日は全然本の内容が頭に入ってこなくて、本を見る振りをしながら、ずっと美鶴を見ていた。
美鶴は下を向いて本を次々パラパラとめくっていた。そのページを繰る美鶴の指になんだか目が止まった。
美鶴の手はとても綺麗だ。
男子に綺麗なんて、当てはめるのはおかしいのかもしれないけど、でもそうとしか表現できない。
指がとても長くて、細いけどでもナヨッとした感じはしなくて。爪もとても綺麗な形をしていて。
よく、小説なんかでまるでピアニストの手のようだ、なんて表現があるけど(僕はピアニストの手って実はよく知らないけど)
そんな感じなのかなぁ。
僕はおもわず、自分の手をジッと見てしまった。
別に不恰好とはいわないけど、美鶴の手に比べたらなんだか僕の手のほうが、小さくて真ん丸い感じでなんか女の子っぽい気がした。
そういえば小学校の頃って、お互いもっと何も考えずによく手を繋いでた気がする。
意識せずにお互いに触れ合ってた気がする。
何時からなんだろう。お互いにあまり触れなくなったのは。
・・・いつの間に何時からお互いを意識し始めていたんだろう・・・
(なんで?好きなら当たり前じゃん。だから付き合って手、つないだりキスしたりしたいんじゃん)
昼間、カッちゃんに言われた言葉が、また頭の中を駆け巡った。
僕は胸の中で何かかがパチンと弾けて、読んでいた本をパタンと閉じた。
「どうしたんだよ?亘。具合でも悪くなったのか?」
図書館から出て帰り道、押し黙って俯きながら歩く僕に美鶴が心配そうに声をかけてきた。
僕は黙ったまま、首を横に振り歩きつづけた。美鶴はそんな僕をいぶかしそうに見ながらもすぐ横に寄り添うように歩いていた。
考えてみれば、もうずい分長いこと美鶴は僕に触れてきてないことに気づいた。
この間『付き合いたい』宣言をされた時、美鶴が僕のおでこに自分のおでこをくっ付けて来たのだって、あんな風に美鶴が僕に触れてきたのはずい分久しぶりの事だったんだ。だから、正直あの時はなんだかそれがすごく嬉しかった。
でも、あの時あれきりでもう、そういうことは無かった。
どうしてなんだろう。
別にキスしたいとか、触れたいとかそんなんじゃなくてただ、美鶴が言葉とは裏腹に僕に対してはなんだか距離を置いてるようでそれが無償に悲しかった。
なんだかこうして並んで歩いてても、前より美鶴を遠くに感じて、僕はなんだか辛くなってきた。
美鶴にあんな風に言われて、言われてしまった事で僕の中では確実に何かが変わってしまって。
でも、当の美鶴は以前と何も変わらなくて。
まるで僕だけが一人で先回りして、空回りしてるような気がして。
でも。
そんなの嫌だ。
そんなのは違うよ。
だって。
「・・・亘?」
だってじゃあ・・どうして付き合おう何て言ったのさ?
いままでと何も変わらないなら、あんなこという必要なかったじゃないか。
僕一人だけがこんな風に悩んで、考えてわかんなくなって・・・
・・・そんなの・・・そんなの・・・
いきなり立ち止まった僕に驚いて美鶴は振り返った。
僕は溢れそうになる涙を堪えながら、ポツリと俯いたまま呟いた。小さな声で呟いた。
「・・手」
「え?」
「・・・手、つなぎたい・・」
僕は言葉に出した後、恥ずかしくて顔を上げられなくて俯いたままだったけど、美鶴がその場で驚いて息を呑むのがわかった。
「亘・・」
「美鶴と・・手、つなぎたい・・」
ギュッと目を瞑りながら目尻に少し、涙が溢れたのがわかった。
胸がドキドキして、まるで時間が止ったような気がした。でも、美鶴は一向に動く気配が無くて、僕は寂しくて悲しくなって来てその場から、逃げ出そうかと思った時。
美鶴がゆっくり僕に近づいてくると、そっと僕の片手に手を伸ばして来て、その手の人差し指に自分の人差し指をゆっくり絡めてきた。
トクン
つぎに中指。そして薬指。
トクン トクン
それから親指。・・・最後に小指。
美鶴の指の一本一本が僕の指に絡まって触れてくるたびに、僕の胸はトクンと跳ねた。
トクン トクン トクン
美鶴の全ての指が僕の指を絡めて、手を重ね合わせた時、僕は泣きたいような胸が痛いような、なんとも言えない気持ちになって重ねあわされた手にそっと力を込めた。
そして俯いてた顔をそっと上げた。恐る恐る目を開けて目の前にいる美鶴を見た。
もう、日が暮れ初めている茜色の空を背にしながら、僕のすぐ目の前で美鶴が微笑んでいた。
日の光があたって、薄茶色のその髪がほとんど金色に近い色をたたえて風に吹かれながら。
僕の顔を嬉しそうに幸せそうにジッと見つめている美鶴がいた。
その手、その指、その全てで柔らかく僕を包んで微笑んでる美鶴がいた。
ぎこちなく繋いだ手にお互いそっと力を込めて。
それ以上何をするでもなく、ただお互いの手のぬくもりをしばらく感じていたくて、そっとそっと長い間指を絡めて僕らはその場に佇んでいた。
「本とはな・・」
すっかり日が暮れた帰り道。
僕らはその手を繋いだまま、歩いていた。歩きながら美鶴がすこし照れくさそうにポツリと言った。
「俺は何時だって亘に触れてたいんだよ」
僕は美鶴のその言葉にポカンと美鶴の顔を見た。
「でも、亘はどうかわかんないし・・・付き合おうって言ったのもそれで、ちょっと亘の様子を見てたのもあったんだ。
俺だけがそう思ってて亘は違うなら、ムリにそういうことは絶対したくなかったから・・・だから」
美鶴は僕を見ると嬉しそうに微笑みながら言った。
「亘から言ってくれて嬉しかった」
僕はその美鶴の笑顔を見て、本当に嬉しくなって思わず握る手に力を込めた。そしてその手を自分の顔の方に持ってくるとそっと頬に当てた。
美鶴はそれを見ると困ったような顔をして、自分を戒めるような口調で僕に言った。
「・・・でも、ほどほどにしとく」
「え?」
「だから・・・俺は何時だって亘に触れてたいんだって言っただろ」
そして、繋いだその手をグイッと引っ張られて僕は美鶴の胸の中にポフン!と、倒れこんだ。
「わっ?」
「止らなくなるから・・・意味わかるよな?」
そう言って僕の手の甲に美鶴はそっとキスをして来て、僕はそれにビックリして思わず手を解こうとして、美鶴から離れようとして。
でも、美鶴がそれを許してくれなくて。
帰り道中、僕はずっとずっと真っ赤な顔をして美鶴と手を繋いで・・・歩いていた。
その手 その指 その爪 その指紋が 私を強く握り締めて
百ある手からその手を探し出す事はとても簡単な事でしょう
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