いつでも一緒どこでも一緒
理不尽という言葉は、この世に芦川美鶴が存在してから出来た言葉なんじゃないのか?と常々宮原祐太郎は思っている。
それだけ日々、自分が彼から受ける理不尽さは計り知れないからだ。
少し立場は違うけれど、同じ憂き目にあっているという意味ではカッちゃんこと小村克美も同等だった。
いや、見ようによってはカッちゃんの方がよりひどい目に会っている事があるとも言えた。
その自分の置かれているポジションこそが最大の理由で。
「カッちゃーん!オハヨー」
「うあっ?わ、亘っ!抱きついてクンの止めろ!」
「え?なんで?」
初夏の爽やかな朝の登校中。
カッちゃんは自分の首に絡んでくる亘の手を解きながら、背中に感じる針のような視線に冷や汗をかいた。
「あ、美鶴。オハヨー」
「おはよう」
振り返ればそこには、ニッコリ朝の爽やかなオハヨウスマイルを浮かべながら、目は思いっきり笑っていない芦川美鶴クンがいた。
「亘、宿題やってきたか?」
「え?社会の?あれ、今日だっけ?」
「そうだ」
「わぁ!しまった。忘れてたぁ!」
「じゃあ、俺の見せてやるから早く教室に行こう」
そう言って美鶴は亘の腕を掴み、自分の方へ引き寄せて足早にカッちゃんの横をすり抜ける。そのすり抜け際に一言残して。
「後でな・・・小村」
その抑揚の無い美鶴の音声を聞いた時、もう、夏になるというのにカッちゃんはブリザードを浴びせられた如く氷結しました。
「なんとかしてくれ!宮原っっっ!!!」
「無理だ」
図書室で本を読んでいた宮原のもとに駆け込んできたカッちゃんの心の叫びを、宮原は一言のもとに切って捨てた。
「宮原~!」
「あきらめろ小村。お前のいるポジションは芦川に一生にらまれる運命にあるんだよ。どうしようもない」
「一生かよ?!」
すでに悟りを開いた行者のような、宮原の言葉にカッちゃんは本当に泣きそうになりながら言った。
「朝、亘からハグ食らったおかげで今日は一日芦川からの針のむしろ視線攻撃だぞ?!やってらんねぇよぉ!!」
読んでいた本をパタンと閉じて、片手で頬杖をつきながら宮原はため息をついた。
「まぁ・・一番の問題はなァ・・・確かに芦川も問題だけど。三谷がもう少しその辺自覚を持っててくれれば、こっちにも無用のとばっちりが来る事は減るんだろうけどなァ・・・」
「そんなの、あの無自覚無意識天然亘に言ったって通じるもんかヨ」
「そうなんだよなぁ・・・」
宮原は再びため息をついた。問題の一番の深さはそこにある。
要するに三谷亘は、いかに芦川美鶴にとって自分が重要なポジションにいるかを、全くといって良いほど把握していないということなのだ。
亘にとって美鶴はとても大切な『お友達』。そしてそれは亘にとってまるまんま、宮原やカッちゃんにも当てはまる名詞だった。
でも、美鶴は違うのだ。どう考えたって違うのだ。芦川美鶴にとって三谷亘はどれだけ特別な存在か。
そんなのは傍目で見ているクラスメイト達にでさえ、一目瞭然の事柄なのだ。唯一それを自覚してないのが、恐ろしい事にその当人だけで。
「ジョーダンじゃねーよぉ!この先何かある度に芦川から攻撃されてたら、俺の健全な小学生ライフはどーなるんだぁっ!」
頭を抱えて喚くカッちゃんを見ながら宮原も眉間にしわを寄せて考える。
それは自分にとっても同じことで、正直、亘が絡んだ件で宮原は今までどれだけいらぬ巻き込みを美鶴から受けたかわからない。
「いっそ、亘に彼女でもできりゃなぁ・・・芦川の奴も変わってくれんのかなぁ・・・」
「お前・・・それこそ、その彼女になる子のこの先の恐怖を考えろよ。大体、あのお子様三谷が彼女なんて・・」
「そうだよなぁ・・」
しかし、言いながら二人は思わず、見詰め合ってしまった。なんとなく、本当になんとなく今の考えが二人の頭で更なるひらめきを展開していくのがわかった。
「・・・でも、それ面白いよな・・」
「・・・面白いよな」
ガタタン!!
二人は思わず椅子から立ち上がると、お互いの手を握り合ってしまった。
亘に彼女が出来たと知った時、あの芦川美鶴はどんな顔をするであろう。少なくともその顔を拝めるだけでも今の自分たちのフラストレーション(ちょっと違うんじゃないか?)が、だいぶ晴らされるのは間違いない気がした。
宮原とカッちゃんは力強く頷くと、思わず腕を組んで誓いのポーズをとってしまった。
ここに「三谷亘に彼女を作って芦川美鶴を打ちのめそう」計画が勃発したのである。
なにやってんだ。小五男子二人組、であった。
「ごめん、美鶴。今日委員会終わるの待ってられないんだ。えっと・・その、はやく帰んなきゃいけなくて・・・」
申し訳なさそうに、それでも少し頬を赤らめながらそう言う亘に美鶴はいぶかしげに眉をひそめた。
「何か用事があるのか?」
「え・・う、うん。そ、そう。ゴメンネ!明日は一緒に帰るから」
さらに顔を赤くする亘に、美鶴はなおも問いかけようとしたが、亘はそう言うとすごい勢いで走って去っていった。
残された美鶴は不機嫌丸出しの顔で、それでも今まで亘はよっぽどの用事が無い限り、自分を置いて帰ることなど無かったのにという、すこし不可解な表情も浮かべながら疑問符を浮かべて立ち尽くす。
「あれ?三谷、帰っちゃったのか?珍しいな。芦川を待ってないなんて」
立ち尽くす美鶴の横にいきなり現れ、そう言う宮原に美鶴は不機嫌オーラ大発散でそっけなく言い放つ。
「急ぎの用事があったんだ」
「へぇー。でもいくら急ぎの用事たって、今まではそんな事無かったのにな・・・もしかして小村の言ってたあの話は本となのかな?」
意味ありげに言いながら、意味深に自分を見る宮原に美鶴はさらに睨みを聞かせながら、聞いた。
「小村が?何の話だ?」
「いや、俺もよく知らないんだけど・・・なんか三谷に彼女が出来たらしいって・・・」
キョトン。
思い切り背景にそう書いた擬音を背負って美鶴は目を真ん丸くしていた。
意表をつきすぎた内容にどうやら、その誰もが認める明晰な頭脳も回転が追いつかないらしく、美鶴はたっぷり3分はその場に凝固していた。宮原はその姿をまるで未確認飛行物体(UFO)を発見したかのような(宮原くん、どういう例えだ)感激の面持ちで手を握り締めながら、思わずじっと見てしまった。
次の瞬間、美鶴はハッと我に帰ると明らかに動揺しながら、宮原に詰め寄った。
「小村が?小村が言ってたのか?・・・亘に彼女って・・確かか?!誰だっ?!この学校の生徒か?!」
「ちょ・・お、落ち着けよ!芦川!」
自分の襟元を掴み、首を絞めんばかりの勢いで噛み付いてくる美鶴の手を振り解くと、息をつきながら宮原は言った。
「俺も詳しいことは知らないよ・・・只、すッごく可愛いコで三谷が夢中らしいって事しか聞いてないんだから!」
その言葉を聞いて今度は思い切り、顔面蒼白になっていく美鶴を心の中でガッツポーズをとりながら宮原は内心ほくそえんで見ていた。
「ごめん。美鶴・・・え、えーとあのさ・・しばらく土曜日も日曜日も遊べないんだ・・・」
明日から休みという金曜日の放課後。
ものすごく申し訳なさそうに、そう切り出した亘をまだ椅子に座ったまま、帰り支度をしていた美鶴は顔を上げてじっと見た。
「・・どうして?アヤも楽しみに待ってるのに」
「う、うん・・・ゴ、ゴメン」
その二人のやり取りを少し離れたところから、興味のなさそうな振りをしてさりげなく、実は思い切り見つめている宮原とカッちゃんがいた。
「亘・・」
「な、なに?」
「最近、どうしたんだ?・・・俺だけならともかく、アヤのことまでほっぽったりするなんて・・そんなの今までの亘なら有り得ないだろ。
・・・日曜日、誰かと会うのか?誰かと一緒なのか・・?」
「え・・」
その質問に思わず、言葉を詰まらせる亘に美鶴は椅子からガタン、と立ち上がると亘の肩を掴んでいった。
「わっ!み、美鶴?」
「チラッと宮原に聞いた・・・亘が今すごく可愛いコに夢中だって・・そのコと会う為に早く帰ったりしてるんだって・・
そうなのか?本当なのか?・・・俺やアヤより亘にはそっちの方が大事なのか?」
「え?み、宮原・・話しちゃったの?」
畳み掛けるように問い掛けていた美鶴は、亘が戸惑いながらも返してきた返事に大きく目を見開いた。
「本当なのか?!」
「え、え・・と。あの・・う、うん・・・」
申し訳なさそうにコクンと頷く亘に美鶴は文字通り、亘の肩を掴んだままその場でフリーズしてしまった。
「美鶴とアヤちゃんには悪いんだけど・・・あ、あの二人が大事じゃないってことじゃなくて!
そのコ・・・今、ひとりぼっちにして置けないんだ・・・とっても可愛くて・・・とってもか弱くて・・・
今、僕がついてて上げなきゃダメなんだ!だから・・・ゴメン!」
亘は一息にそこまで叫ぶと真っ赤な顔をして、美鶴の手を振り切り教室を飛び出していった。
亘に振り切られた体勢のまま、固まって動けなくなっている美鶴の傍に恐る恐る宮原とカッちゃんが近づいていく。
「・・・オーイ・・芦川ぁ・・」
カッちゃんがツンツンと美鶴の動かなくなった体をつついた。
まるで、ロウ人形のように固まったまま、俯いている美鶴はビクともしない。
宮原とカッちゃんはまた恐る恐るソーッと美鶴から離れると、二人して階段の踊り場に駆け込んだ。
そして思わず二人して手と手を取り、握り合ってガッツポーズをとって歓喜の声で叫んでしまった。
「オッシャー!作戦大成功!・・・ううう、俺、生きてるうちにあんな芦川見れるなんて夢にも思わなかったゼ・・」
「本とだなぁ・・何よりもかによりも三谷の天然ボケがナイスだよ。あれなら芦川もどう考えたって三谷に彼女が出来たと思うもんなァ・・」
「いいじゃんいいじゃん!真相は隠してしばらくはそう思い込ませておこうぜ!そうすれば、俺もしばらくは健やかな小学生ライフがおくれるってもんだし!」
ウキウキとそう言うカッちゃんに宮原も笑いながら、相槌を打つ。
宮原的には多少芦川もかわいそうかなぁ、と慈悲の心が浮かばないわけでもなかったが、やはり今までの彼の所業を考えればこれくらいの事は、因果応報といえるだろう、と思った。
まぁ、なんにせよ自分たちが関与してることさえ、感づかれなければいいのだ。
さーて、それじゃしばらくこれから訪れる穏やかな日々をどう過ごそうかと二人が上機嫌で帰り始めたとき。
背後にいきなり寄って来た、これは悪魔の使者か暗黒の亡者が背負ってきたのかという絶対零度を感じて今度は宮原とカッちゃん。
激フリーズ!!
「・・・作戦てなんだ?」
背後からの絶対零度に固まり、恐ろしくて振り返ることが出来ずにいる二人に、悪魔の氷結した言葉が降ってきて二人をさらに凍りつかせる。
「い、いいい何時の間に・・・・あ、ああああ芦川・・・・・」
「・・・聞かせてもらおうか?・・・宮原、小村・・」
自分たちの肩にそっと触れてくる悪魔の手に二人は心で叫ぶことも出来ずに、ただ一筋の冷や汗をツーッと流しておりました。
「あれ?」
日も暮れ始めた頃、公園にいた亘は向こうから近づいてくる3人の影に気づいて足を止めた。
「美鶴?・・・宮原、カッちゃんも?」
「・・・よー・・・」
すっかり、意気消沈して尚且つ軽く10年は寿命を縮ませたのではないだろうかという、生気のない顔をした宮原とカッちゃんが後ろの美鶴に急かされるように亘の方へ近づいて来た。
「えー?結局美鶴に全部話しちゃったの?!」
「・・・・そういう事になった・・」
「なんだぁ・・・せっかく、僕もいろいろ気を使ってたつもりだったのに・・・ね?ジョゾ?」
美鶴が宮原とカッちゃんをすり抜けて、亘の方へ寄って行く。
そして亘が呼びかけながら、抱き上げたその小さなモノをジッと見た。
「・・・可愛いコってそれか?・・・亘」
亘はエヘへと笑いながら、そっと美鶴の方へそれを差し出して見せた。
「うん!ポメラニアンのジョゾ!すっごく可愛いだろ?」
少し、ピンクがかった毛の色をしたその小さな子犬は美鶴の顔を見てクゥンと鳴いた。
事の成り行きはこうだった。
このポメラニアンのジョゾはもう、貰われる先は決まっていたのだが、その飼い主の家が急遽引っ越すことになり、その片付けやドタバタでひと月ほど誰かに面倒を見て貰わなくてはならなくなったのだ。
その飼い主から何気なく、相談を受けたカッちゃんの親は誰か手ごろな人物はいないかとカッちゃんに聞き、カッちゃんは亘に聞いたという訳だ。亘はもともと動物が大好きだ。小さい頃、子犬を飼おうと思ってダメになった経験もある。
だから、カッちゃんからその話を聞いた時、すぐに何度も母に頼んでお願いしたのだ。
母もひと月ならいいわよと、何とかOKを出してくれた。
亘はもう、嬉しくて嬉しくて。しかも思ったよりその子犬が自分になついてくれて可愛くて可愛くて。
学校にいっててもすぐにでも会いたくて、いつでも傍にいてやりたくて文字通り夢中になったのである。
「美鶴に隠すつもりは無かったんだけど・・・宮原やカッちゃんが、美鶴はあんまり動物とか好きじゃないから言わないほうが良いよっていうからさ・・・」
美鶴はそこで二人をギラリと睨んだ。
ふたりは顔に斜線を落とすと、身を縮ませた。そう、作戦の内容はそういうことだったのだ。
亘に彼女を作るといっても実のところそれは容易なことではない。宮原もカッちゃんもそこのところはよくわかっていた。
なんせお子様亘である。けれど、彼女じゃなくて亘を夢中にさせるモノなら見当はついた。
そこに降ってわいたようにカッちゃんにジョゾの話が来たのである。
これを使わない手はあろうか!・・・と、そういう事だった。
・・・こんなに早く露見するとは思わなかったんですけどね。(宮原、カッちゃん涙の心の声)
「本当は美鶴やアヤちゃんにも見せてあげたかったんだ!ジョゾのこと・・」
ジョゾをギュッと抱きしめ、ニコニコしながらいう亘に美鶴が聞いた。
「亘・・ジョゾって名前・・・」
「あ、うん。あのね・・・預かって世話する変わりに飼い主の人が僕に名前決めて良いよって言ってくれたんだ。だから・・」
嬉しそうにそう言う亘に、美鶴は少し眉をひそめるとオクターブ下がった声でまた聞いた。
「亘・・・ちなみにネコだったら、なんて名前付けた・・?」
「え・・?」
亘はキョトンとしながらも、次の瞬間頬を真っ赤に染めてポツリと恥ずかしそうに言った。
「え・・と、ネコならミ、ミーナ・・・ミーナ・・かなぁ」
途端、美鶴の背後にいた宮原とカッちゃんは何が起きたのかわからないまま、間違いなく美鶴の背後で燃え盛る青白い炎を確かに見た。
そして振り返らないまま、自分たちに向かってボソッと呟かれた声を聞いた。
「宮原、小村・・もし、亘にネコなんてやったら・・今度は・・・明日を迎えられると思うなよ」
肩を寄せ合い、心で涙を流しながら宮原とカッちゃんは自分たちに穏やかな日々はもう、訪れる事はないんだなぁ、と天に向かってため息をついた。
でも実のところ宮原は内心、彼女じゃなくてもこれだけ美鶴にダメージを与えられるんなら、三谷に小動物作戦は有効だと密かに亘に可愛いネコのいる場所を教えてやって通わせよう。そう、なかばやけくそ気味に考えていて、カッちゃんはカッちゃんでネコがダメなら今度は亘にハムスターでもプレゼントしてやって、芦川から亘を少しでも引き離してやる!とこれまたどうせならの自嘲心と共に決意していて、小五男子4人組みは相変わらず今後も賑やかなのは間違いないようだった。
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