夢に変わるまで
亘の優しい優しい微笑が自分を包む。
これ以上ないくらい両の手を大きく広げてまるごと自分を受け止める。
どうして・・・?
どうしておまえはいつも笑ってるんだ。
どうしてそうやっていつも・・・
そっくり俺を受け入れられるんだ・・・?
(好きだから)
あの時の姿で亘は告げる。幻界にいたときの姿。出会った頃の11歳の姿で。
(美鶴が好きだから。大好きだから)
美鶴は亘に手を伸ばす。11歳の亘にそっと手を伸ばす。
頬に手をおかれ亘はくすぐったそうに体をすくめた。
そうだ。おまえがそう言ってくれたから。だから俺は帰ってこれたんだ。帰ることが出来たんだ。
・・・生きていこうと思ったんだ・・・
ふいに美鶴は目を閉じる。そして次に目を開くとそこには現在の亘がいた。
自分と同じ17歳の。
けれど美鶴をまるごと受け止めるその微笑みは変わらないままの・・・亘がいた。
亘は少し首を傾けてじっと美鶴を見ている。
美鶴も無言のままただ亘をじっと見た。今は言葉を出してもそれが形にならないような気がした。
ただお互いを包む空気だけが二人の存在を確かなものにしている気がする。
トクン・・・
離れていてもその胸に耳を当てていなくても聞きなれた心地よい音が美鶴の耳に響いた。
その音色に惹かれるように美鶴はゆっくり亘に近づいていく。
そっとその肩に手をやってお互いの吐息がすぐかかる場所まで顔が近づいた。
自分の額をコツンと亘の額にくっつけて間近に瞳を覗き込んで少し微笑んだ。亘も微笑み返す。
これ以上近づけない距離。
これ以上触れられない距離。
美鶴は静かに目を閉じて自分の額に触れているぬくもりに意識を寄せる。そして密かに顔をゆがませた。
・・・苦しいな。亘。
・・・苦しいよ。
傍にいてくれさえすればそれでいいとずっと思ってた。亘はずっと傍にいてくれるといったのだから。
美鶴はふいに亘を抱きしめる。息も出来なくなりそうなほどきつくきつく抱きしめる。
亘が苦しそうに自分の腕の中で身じろいだ。
「わたる・・わたる・・亘」
声を出したら歯止めが利かなくなるのがわかる。自分が止まらなくなるのがわかる。
美鶴はきつく目を閉じたまま亘の首筋に唇を寄せた。そのままあま噛みするように歯を立てると亘の体がびくりとすくんだ。
動けないように逃げられないように両の手を封じてシャツのボタンをはずした。
あらわになった肩に鎖骨に歯を立てる。その都度紅い鮮血のような色が亘の体に浮かぶのを美鶴は目を開けて見た。
・・・欲しい。欲しい。・・・欲しい。
亘が・・亘が欲しい。
・・・・俺がそう思ってるって知ったら・・亘・・どうする?
手に入れて自分の自由にして・・・メチャクチャにしたいって思ってるって知ったら・・・どうする?
それでもおまえは傍にいてくれるのか?・・・俺を・・受け止めてくれるのか?
美鶴は亘を見る。はっきりと目を見開いてその瞳を覗き込んだ。
亘は何も言わない。ただ見ている。美鶴をじっと見ていた。
怒りでもなく恐れでもなく。・・・涙を浮かべるわけでもなく。
ただ悲しい瞳を。見たこともないような悲しい悲しい色をした瞳で・・・見ていた。
美鶴が再び目を閉じる。押しつぶされそうなせつなさで・・・流されてしまいそうなほどの悲しみで・・・
自分を失ってしまうのを感じながら。
こわいこわいこわい。きらわないできらわないできらわないで・・・
気づけば誰もいない暗い暗い闇の中で幼い美鶴が泣いている。小さな肩を震わせ両手で顔を覆ってたった一人で泣いている。
わたるわたるわたる・・・わたるわたるわたる・・・きらわないで・・
きらわないで・・・
「一週間後に出発することにした」
放課後。下校しようと玄関で靴を履き替えているときに美鶴は唐突にそう言った。
亘は驚いて顔を上げる。アメリカ行きの話は亘は三日前にその計画を聞いたばかりだった。
「・・・そっか・・急だけどもう決めたんだろ?」
美鶴は静かに頷いた。玄関を出て二人で歩き始めながら亘もまた無言だった。
お互い何を言えばいいのかわからない、何も言わなくてもかまわないようなそんな雰囲気を感じながらも亘が言った。
「手紙だすから。メールの方が早いけどさ。美鶴、携帯ないしパソコンもしないし」
そう言って笑いながら亘は美鶴の前を歩いた。傾き始めて茜色に染まった太陽の日が亘を照らす。
美鶴はまぶしそうにその後姿を見た。
「亘」
「え?」
二人の足元にあった長い長い濃い影が近づいた。
そこにいるよな?亘・・消えないよな。いるよな。・・・離れないよな・・・
「?!・・・っ!!」
息が出来ない。前が見えない。自分でも大きく見開いたことがわかった目の端にかすかに見えたのは美鶴の薄くてきれいな色の髪。
そして痛いほど自分の背中をきつく抱きしめる美鶴の手のぬくもり。
ドンッ!!
突き飛ばされよろめいた美鶴の目に飛び込んできたのは。
大きく息をつく肩。驚愕で見開かれた瞳。信じられないといった表情。
そして。
次に見開かれた瞳から次々と溢れ出した涙。
「・・・・ッ・・」
亘は自分の唇に手をやり顔をうつむくと直ぐに踵を返して走り出した。
美鶴のほうを振り返ることもなく罵声の言葉も残さず。
果てしないほどの悲しい瞳をしたまま・・・去っていった。
夢を見ていた。
美鶴は黒いミツルと会った次の日からずっと夢を見ていた。
亘を抱く夢。亘を手に入れる夢。亘がこれ以上ないくらい悲しい瞳で・・・自分を見つめる夢。
あれ以来ミツルは現れていない。
けれどその代わり毎日夢を見る。そんなこと思っていなかった筈なのに。望んでなんかいなかった筈なのに。
・・・・夢を見るのだ。
亘・・消えないよな。いるよな。・・・離れないよな・・・俺を嫌わないよな?
たった一人立ち尽くして俯く美鶴の足元に自分一人の長い黒い影があった。
その影が揺らめいて何かを囁く。
手に入れろよ・・・亘を手に入れろよ・・・
そう出来ないなら・・・それが出来ないなら・・・
美鶴は幼い自分が遠い遠い暗い場所でたった一人でいるのを・・・たった一人で泣いているのを感じていた。
・・・わたる・・・わたる
・・・きらわないで
そして次の日から亘は美鶴を避けはじめた。
PR