Rum Raisin Sconeは誘惑の味
「亘、スコーンて作れるか?」
「スコーン?お菓子の?」
美鶴は苦々しげに頷いた。
学校を終えて、二人で帰宅途中に不意にそう問い掛けてきた美鶴を亘は不思議そうに見つめながら、返事を返す。
「うん。作れるよ。うちで何回かお母さんに作ってあげたことあるし。でも、なんで?」
美鶴は軽いため息をつきながら、事の次第を話しはじめる。
そもそもの事の起こりは美鶴の叔母の一言から始まった。
「美鶴。あんたスコーン焼きなさい」
リビングで図書館から借りて来たばかりの本を読んでいた美鶴は、叔母の唐突な一言に本から顔を上げた。
「何訳のわからない事言ってんだよ。いきなり」
「訳のわからない事じゃないわよ!」
土曜の休日の昼下がり。
お外は晴天。風は秋風。どう考えたって爽やかな昼下がり。
美鶴の叔母はその爽やかさをぶち壊す勢いで、以下の事をまくしたてた。
「職場に最近、若いバイトの子が入って来たんだけど昼休みによく、お菓子やらデザートやらを皆に差し入れるのよね。それはまあ、最近の若いコにしちゃいい心がけだし、そのお菓子自体はまぁまぁ美味しいし、良かったのよ!
で、まあ、こっちもお礼がてらお菓子作り上手なのね、なんて誉めてあげるじゃない。
そしたら、そのコ。実はあたしが作ってるんじゃないんですぅ。彼氏がそういうの得意なんでいつも作ってもらったのを皆さんにおすそ分けしてるんです。あたし一人じゃ食べきれなくて。キャッ!とか抜かしたのよ」
その、キャッ!までポーズ付きで再現しなくていいから。と、美鶴は心の中でため息と共に呟きながら、目を瞬かせて叔母の話の続きを促した。
「そこであたしがフーン。彼氏よっぽど暇人なのね。て、言ったのが気に入らなかったのかそのコったらさ・・・
だってそう思わない?嬉々として彼女の為にお菓子作りする男なんてあたし的には大パスなんだもの!
そりゃあ、亘くんみたいに料理が得意な男の子は素敵よ!!それは間違いないわ!
でも、ボクキミのためにお菓子作るの楽しいんだ、なんて言ってリストラされて失業したくせに仕事も探さないで・・・あ、彼氏ってそういう奴なのよ。毎日毎日喜んでキッチンに立つ男なんてどうかと思うわよ?正直羨ましくも何ともないわ。だから・・・」
「結論を言えよ!」
このままでは話の本筋から明らかに脱線してゆくであろう、叔母の話を美鶴は途中でさえぎって叫んだ。
「だから、そしたらそのコ。まぁ、でもあたしの彼みたいに出来た彼なんて早々いるもんじゃないですしねー?あ、ごめんなさい。芦川さんにはそもそも彼氏もいないんですもんねーと、こうよ!!」
美鶴は今度は深々とため息をついた。
要するにそのバイトの若い女の子とやらは地雷を踏んだわけだ。
──芦川美鶴の叔母と言う名の地雷を。
正直、美鶴の叔母はそこに若い男性が10人いたら10人ともが、間違いなく振り返るであろうと言う、超1級の美女である。美鶴やアヤを含めて芦川一族のブランドは伊達じゃないのだ。
が、その容貌とは裏腹に美鶴の叔母は内面、一筋縄では行かないものを持っている。
美鶴やアヤを引き取ったばかりの頃の幼さやはかなさは日々と共に薄れてゆき、自分の過去を真っ直ぐ受け止め、自分たちを取り巻く世の中の理不尽さに立ち向かう強さをたたえ始めていた。
過去はどうあれ、現在を真摯に生きている者に対して襲ってくる理不尽を、吹き払う度量を身につけていた。
叔母がそんな風に変化していったのは何時からだったろう。
美鶴はふと思う。亘が頻繁に自分のうちへ通うようになってからのような気がするのは、気のせいだろうか。
まあ、それはともかく、見た目とは裏腹にやられたらやり返すタイプの叔母がそんな地雷を踏む発言をされて黙っているわけがないのは、美鶴にも即座に理解できた。
と、同時に嫌な予感が頭をよぎる。息を呑みながら叔母の次の言葉を待った。
「だから、あたしこう言ってやったのよ!そうね。彼氏はいないけどあたしにはスッゴイ美少年の高校生の甥がいて、良くスコーンとか焼いてくれるのよ。それにその甥にはそこら辺の可愛いコ女の子なんか、目じゃないくらいの可愛いお友達がいて、そのコの作る料理なんか絶品なのよねー!って。
あ、でもあなたの彼って幾つだっけ?10代のコと比べちゃ、気の毒よねぇ?それにたしか今、リストラに合っててそれであなたのとこに転がり込んで、あなたの代わりにお給仕してるんですもの、偉いわよねぇ?」
美鶴は顔を押さえ込む。まったく我が叔母ながら・・・
せめてジャブをかますくらいにしておけば良いものを・・・カウンターパンチを放ってどうするんだ!
「そしたら、そのコ。顔真っ赤にして高校生の男の子でそんなお菓子や料理作りのうまい子なんて、実際この目で見るまでは信じられませんね。芦川さん見栄張らなくっていいんですよ!なんて言って笑うもんだから・・・」
嫌な予感数、最大値マーク。
美鶴は叔母の次の言葉に肩をガックリと落とした。
「そんなに言うんだったら、実際作ってるとこ見せてあげるから来なさいよって言ったのよ!!
そんなわけで美鶴!今度の日曜日そのバイトの子をうちに呼んで茶会をすることに決めたわ!あんた亘くんと二人でもてなして目に物見せてやりなさい!!」
「なんで亘を巻き込むんだよ?!」
叔母は厳命を伝える時にする仕草、人差し指をビシッと立てて美鶴を睨みながら力強く言った。
「何言ってるのよ?当たり前でしょ?曲がりなりにも美形のあんたと高校生とは思えないくらい可愛い男の子の亘くんの組み合わせを見て、うっとりしない女はいないのよ?
ただお菓子や料理が出来るってとこだけ、羨ましがらせたって意味ないのよ!やるんなら全てにおいて歯噛みさせないと!!」
どういう理屈なんだ!
さすがの美鶴も今回ばかりは、叔母の言いなりになる訳には行かない、こんなくだらないことに亘を巻き込むわけには行かない、と持っていた本をテーブルにおいて反論を口にしようとしたその時。
「もう、亘くん専用に真っ白なフリルの新婚花嫁さん風エプロンも買ったんだから!!」
こぶしを握り締めての絶妙なタイミングの叔母のその叫びに、美鶴は瞬間でリング上にタオルを投げて敗北宣言したボクサーと化した。
「あはっ、あはははは!美鶴の叔母さんらしいねえ!」
事の次第を聞き終わった亘は本当におなかを抱えて笑っていた。
涙目になった目を片手でこすりながら、美鶴に向かって言った。
「いいよ。わかったよ。要するに美鶴と二人で叔母さんのその知り合いに、僕等がお菓子とか作れるところを見せればいいんだろ?」
「まぁ、そうだけど・・・いいのか?」
「うん。いいよ。楽しそうじゃん!・・・そうだね。じゃあ、せっかくだからスコーン以外にもなんか作ろうか。スコーンも一種類だけじゃつまんないな・・・えーと、どんなのにしよう」
亘は楽しそうにブツブツと計画を練り始める。基本的にイベント事は好きなタチなのだ。
「エプロンは持ってこなくていいからな」
だからさりげなく最後に、美鶴がポツリと呟いたその言葉が亘の耳に届いていたかは、はなはだ怪しかった。
「えーーーー?!な、なんですか?これ?!」
そして問題の日曜日当日。
叔母から渡されたそれを目の前に広げながら、亘は動揺と焦りの叫び声を上げた。
「今日亘くんが着るエプロンよ!どう?可愛いでしょ!!」
真っ白で、レースが肩にも胸のところにも二重にも三重にも、ヒラヒラと飾り付けられているフワフワのエプロンを凝視しながら、亘はサーッと顔を青ざめさせた。
「や、あの・・・叔母さん、その、エプロンならボク、自分のが・・・」
「高かったの!この日の為に思わず奮発しちゃったの。だってこっちが無理なお願い亘くんにするんだからこのくらいしなきゃって思って」
叔母は亘が言葉を続ける前に、顔に手をやり憂いを帯びた表情でチラリと亘の顔を見ながら言った。
「亘くんに変な格好でお菓子作りなんてさせられないもの。これは私からの今日のほんのお礼の気持ち!遠慮しなくていいのよ!」
ニーーーッコリと大輪の華のような笑顔を浮かべてそういう美鶴の叔母に亘はもう、すでに逆らえるはずもなかった。
キャアアアアッッッーーー!!!!!
呼び鈴が鳴り、玄関に迎えに出た美鶴と亘の姿を一目見ての女性群の悲鳴である。
バイトの女性はどうやら、自分一人では分が悪いと感じたのか当日、友達だという数人の女性を連れて来た。明らかに美鶴達が失敗した時は全員で槍玉に挙げようというのが目に見えていた彼女たちを、叔母もこれまた今日はどこの晩餐会に行くんだというめかしぶりで優雅に出迎えた。
「あら。皆さん、ようこそ。ずい分お暇な方たちが多いものね」
先取点獲得!
高らかに心の中で笑い声を上げる叔母の後姿を、女性たちは悔しそうに睨んだ。
「え、えーと・・・今日はスコーンと野菜のフォカッチャのサンドとそれからアプリコットショーソンを作ってご馳走します・・・・」
真っ赤になって俯きながら女性たちの前で、亘はぼそぼそと言った。
ただでさえ、恥ずかしい格好をさせられているのに穴の開くほど見つめてくる女性たちの視線が居たたまれないのだ。
亘達が調理をしている姿が見えるようにと、キッチンのテーブルに女性たちはかけて待っている間のお茶を美鶴が給仕する事になった。
そして亘とは対照的に、女性たちにお茶を出している美鶴の姿といえば、これまた叔母がどこから用意して来たのかまごう事なき高級レストランのギャルソンの姿である。
片手にトレイを持ちながら、華麗に紅茶を注ぐ姿に女性たちは皆、ため息をついてしまった。
「どうぞ」
美鶴から差し出された紅茶を、すでにポーッと顔を赤らめながら夢見心地に受け取る女性たちの姿を見ながら、叔母はもう勝ちを確信したも同然にいた。
面白くないのは、もとはといえば今日の件の発端のバイトの女性である。
爪を噛みながら、なんとか亘達の邪魔を出来ないものかとキッチンにいる二人を睨みつけていた。
女性はふと思い立ったように立ち上がると、おもむろにキッチンで卵を割っていた亘に近づいた。
「わぁ、本とになれた手つきですねぇ。亘くんて普段からお料理してるのぉ?」
「あ、はい。なんせ母が働いてて、夕食の支度とかはほとんど僕がしてるもんですから・・・」
「そうなんだぁ、偉いのねぇ」
いちいち語尾を延ばす人なんだなぁ、と亘は苦笑しながら隣に置いてあった泡だて器に手を伸ばした時。
バシャッ!
「うわっ?熱っ・・・!」
紅茶のカップを温めるためにお湯を入れておいた小さなポットを、その女性が倒して中のお湯が亘の右手に思い切りかかってしまった。
「亘?!」
「あ・・・だ、大丈夫」
女性たちに出来上がった菓子を運んでいた美鶴が亘の声を聞いて、素早くキッチンにやって来る。
手を抑えながら、顔をしかめている亘の顔とキッチンの状況を見て、瞬時に事の次第を把握した美鶴は亘の手を掴むと蛇口から水を出して亘の手を冷やした。
「ごめんなさ~い。うっかりしちゃってぇ・・・!」
少しも悪びれていないその女性を美鶴は睨みつけながらも、事を知って怒りの叫び声を上げようと立ち上がる叔母に首を振って目で静止しながら、美鶴が亘に言った。
「手、使えるか・・・?」
「うん。大丈夫だよ。ちょっと痛むけどこのくらい・・・」
そう言って泡だて器で卵を泡立てようと手にしてながらも、亘の右手はうまく動かない。
この先のメニューは基本的に亘が作ることになっていたので、このままではどうしようもない。
困った顔をして立ち尽くす亘の後ろに美鶴は静かに立つと、優しい声で言った。
「亘。俺が手を添えて手伝うから。どうすればいいか言って」
え?と亘が美鶴を振り返る間もなく、美鶴の両腕がそっと亘の背後から伸びてきてそのまま亘の両手をつかんだ。
美鶴の吐息が亘のすぐ耳元をかすって、背中にはピッタリと暖かいぬくもりを感じた。
美鶴の甘い香りと自分を背中からすっぽり包み込む、柔らかな体温を感じた。
次の瞬間。テーブルについていた女性たちが一斉に立ち上がり、声にならない嬌声が上がったのがわかる。まだ席につかず、すぐ傍で事の成り行きを見ていた件の女性は大きく目を見開きながらも、明らかに今の二人の状態にくぎ付けになってしまっていた。
そして怒りを込み上げさせていた筈の叔母は、美鶴の行動に思わずガッツポーズをとり、美鶴!ナイス!と心の中で叫ぶ。
「え・・・ちょ、ちょ・・美、美鶴・・・!!」
亘が一気に顔を真っ赤にして焦った声を出す。
そう。
どうみても。
こうみても。
今のこの二人の状態は。
真っ白なフリルの可愛いエプロンをつけた新婚の花嫁が、はじめての料理を上手く作る事が出来なくて見かねた若い花婿が、背中から寄り添って手を添え、それを手伝ってるとしか思えませんよ、の場面(シーン)。
もっと簡略していえば、要するにいちゃつきながら二人で料理をしている新婚さんですよ!の図。
美鶴は巧みに亘の手を支えながら、次々と作業をこなした。
最初、真っ赤になって固まっていた亘も、美鶴が自分をかばうようにするその優しい行為がやっぱり嬉しくて、少し照れくさそうに美鶴を振り返りながらも微笑みながら無事全てのメニューを作り終えた。
実際、その頃には出来上がってくるメニューの味の素晴らしさもさることながら、すっかり亘と美鶴の新婚夫婦ぶりに(他にどう言えと?)当てられてしまっていた女性たちはすっかり呆けた状態になって、瞳をとろんとさせながらほとんど無言状態で美鶴の家を後にした。
件のバイトの女性だけは多少の悔しさをその顔にうかべていたものの、敗北を認めないわけには行かなかったらしく、女性群の中で誰よりもそそくさと退散していってしまった。
後に残った叔母は高らかに笑い声を上げると、勝利宣言をする。
「美鶴ーーー!よくやったわ!完全勝利よ!ふっふっふーん!見た事ですか!これであっちも思い知ったでしょうよ。
亘くーん。ありがとう!おかげで向こうの鼻を明かせたわ~!」
亘に抱きつきながらはしゃぐ叔母を、美鶴は引き剥がしながら苦々しい声で言った。
「その辺にしろよ。結局まだ亘の手の治療もしてないんだから、火傷は痕になったら大変なんだぞ!」
「あ、そうだったわね。火傷用の軟膏まだあったかしら?・・・あー・・無いんだわ。待っててすぐ買ってくるから!・・・近くの薬局にあったかなぁ・・・?」
叔母はそういうと車のキーを掴んで、玄関から飛び出して行った。
全てが無事すんで安心した亘は軽く息をつくと、まだ自分の手をつかんでいる美鶴にむかって言った。
「そんなにたいした事無いから大丈夫だよ。
それよりさ。僕らも一息ついてお茶にしない?スコーンならまだ少し余ってるし。食べようよ」
そう言って亘は皿に残りのスコーンを盛り付けた。
残っていたのは、甘い甘いラム酒につけておいたレーズンの入ったラムレーズンスコーン。
「美味しいけどちょっとレーズン、ラム酒につけすぎたかな?食べ過ぎたらなんか酔いそうだね」
「・・・そうだな。酔いそうだ」
亘は、スコーンを俯いて食べながらふと、美鶴の微妙に変わってきた雰囲気に気づく。
スコーンを手にして、何口か食べながらも美鶴は何時の間にか亘のすぐ傍に近づいてきていた。
スコーンのラムレーズンに酔ったのか。
甘い雰囲気を漂わせて。
その瞳に少し熱をおびさせて。
「美鶴・・・?」
不思議そうに美鶴の名を呼ぶ亘を真っ直ぐ見つめながら。
亘の耳元にそっと唇を寄せて甘く甘く囁いた。
「亘が可愛すぎて酔いそうだ・・・」
叔母が中々、見つからない火傷薬をようやく見つけて帰ってきた時、何故か亘はもう、美鶴の部屋に引っ込んだまま出てこなくなっていて、美鶴は薬を受け取りながら厳かに亘は今日、泊まっていくから宣言をこれ以上ないくらい嬉しそうに叔母に告げると、これまた部屋に入ったまま次の日の朝まで部屋から出てこなかったそうである。
ちなみにその後、真っ白なレースのフワフワエプロンは何故か美鶴のベッドの下に常時置かれることになったらしい。
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