Fruit Yogurt Magic kiss
どんなからくりだったのか、どんなマジックを使ったのかなんて、もちろんギャラリーにばれちゃいけない訳。
こんな運命変えてやる!なんて言わなくたって、一寸先には運命なんてマジシャンのマジックのごときに七変化。
そんなの幻界で勇者をはった三谷亘くんや、魔道士をきどった芦川美鶴さんだって同じこと。
イタズラなマジック。
イジワルなからくり。
ネタ晴らしはご法度。
ほらほら、蜘蛛の糸のごとく張り巡らされた楽しくて甘いゲームが、待ってるよ?
「きみ、だれ?・・・・て、ゆーか・・・・僕、だれ?」
それは学校の給食が亘お気に入りの、ビビンバ風丼にフルーツヨーグルトと言うメニューの、とある一日の始まりの朝の事だった。
昨日から給食のそのメニューを楽しみにしていた亘は、今日は朝からさぞかしテンションが高いだろうな、と美鶴は苦笑しながらいつもの待ち合わせの交差点に行った。
亘はいつも通り小6にもなりながら、ランドセルを正しい小学生仕様で背中に背負いながら、目の前の小石をケンケンと蹴るようにぶらぶらさせながら待ち合わせ場所に立っていた。
交差点の向こうから、美鶴が少し大きな声で呼びかけて気づいた亘がこちらに振り返る。
そして美鶴を見つけて、いつもの嬉しそうな全開の笑顔を浮かべて、自分も手を振ろうと片手を上げた・・・・ところで、亘の表情がいきなり変化した。
只でさえ大きな瞳をポカンと更に大きく見開いて、自分に向かってくる美鶴をいぶかしげに凝視しているのだ。
「亘・・・?」
急激な亘の変化に美鶴も違和感を感じて、近づいて手をそっと亘の頭にやろうとしたら、すぐさま亘がその手を弾いた。
「勝手に触らないでよ!」
多分バックに効果音を大書きしていいなら、今の美鶴の背後にはおそらくかなりの確率で、“があああん!”という文字が浮かび上がってると思われます。
そして冒頭の台詞に戻る。
幻界で魔道士を気取った美鶴さん。でも見習い勇者の亘くんには魔法も呪文も利かなかった。
───はてさて始まった甘くて楽しいこのゲーム、如何に攻略いたしましょう?
「宮原っっ!保健室・・・いや、救急・・・救急車だーーっ!!」
「くるし・・・ちょ、離せっ!離せってばぁ!」
美鶴はジタバタと暴れる亘を、力ずくで脇に抱えるようにしながら教室までやって来て、叩き壊す勢いでドアをあけて開口一番そう叫んだ。
何事が起きたのかと、クラスメイト達は一斉に二人を振り返って息を呑み、目を見開く。そしてその後、そーっと名前を呼ばれた件の宮原の方を皆、盗み見ていた。
宮原は買ったばかりの、某英国紳士教授とその助手が活躍するゲームの新作小説を、今まさにカッちゃんと開こうとウキウキワクワクホノボノとしているところだった。
そんな折に悪魔を召還するごとき声音で名前を呼ばれた宮原は、咄嗟にこれは───只でさえ日ごろから美鶴と亘の二人には、いらぬトラブルを背負い込まされてる為、瞬時の判断力が高速に鍛えられてしまった。(宮原悲しい呟き)───レベルで行けばヒマラヤ山脈級の何かが起きたに違いないと判断し、背筋を凍らせた。
けれどもそう言ったシチュエーションをすぐさま読み取る事の出来ない、別な意味で美鶴と亘のトラブル解決人(本人気づかぬうち。宮原談)でもあるカッちゃんがのほほんとした声で言った。
「なんだーー?どうしたんだよ?亘、何かあったのかぁー?」
「わたる、わたるって、さっきから・・・何だよ。それが僕の名前なの?」
「へ?」
「コイツといい・・・何だよ。お前ら僕の知り合い?僕はお前達なんて全然知らないんだけど?」
ようやく美鶴の拘束から解放された亘は、腰に両手を回すと憤慨した顔で自分を凝視してくる美鶴、宮原、カッちゃんを順々にキキッ!と睨み付けた。
3人はそんな亘くんを見て驚愕の表情を思わず揃えてしまいました。
いつもなら朝一で3人を見つけたら、お日様の輝きをもしのぐキラキラした笑顔をマックスにして、いらないと言ってもぎゅううううう!!!と、ハグして来てくれるあの可愛い可愛い三谷亘くんはどこへ?!
──ちなみに均等にハグしないと後で美鶴の目も当てられないくらい暗黒邪悪オーラを食らう羽目になるので、ハグは一人一日一回まで。時間にして3分以上は反則!などと言う、暗黙のルールまで存在していた。余談。
「わ、わ、わたる・・・?」
「み、み、みたに・・?」
「うるさいなぁ。だからそれが僕の名前なのかって聞いてるだろ?知ってるんならちゃんと教えろよ!
さっきも言ったけど、僕はお前らの事なんて全然覚えてないんだからね?」
運命の女神様。見ているならば、この事態に慈悲の手を。
───美鶴は一瞬真剣にそう祈っていた。
「・・・・記憶喪失って奴かよ?」
「正確には記憶喪失って症状は無いんだよ。何かのショックを頭に受けて一時的に記憶が混乱してるとか、錯乱してるとか・・・。または自分でも知らない、第二の人格が現れたとか・・・。こう言った現象は大抵そんな原因の場合が多いんだけど・・・でも」
授業をエスケープして、4人は中庭のカッちゃん特製(ダンボールをかき集め、それで仕切りを作って部屋にしている。外側は草でカモフラージュ)の秘密基地に来ていた。
「芦川、本とに三谷は事故にあっても、転んで頭打ったりもしてないんだな?」
「少なくともいつもの待ち合わせ場所に居た時はそんな感じじゃなかった。最初に俺が見たときはいつもの亘で・・・ちゃんと俺を見て手を振ろうとしてくれてたんだから、そんな事故とかにあってたらあんな風にはいかないはずだ」
「じゃ、一体・・・」
「ねえ?さっきから何をあーだこーだ言ってるのさ?僕の名前は三谷亘っていうんでしょ?それで君らはなんて言うの?僕とどういう関係?それを教えてよ」
車座になって沈痛な表情で議論していた美鶴たちは、ひょいと覗き込んできた亘にそれぞれ目を向ける。
“お前ら”が“君ら”になったものの、亘がまだ全然自分達の事を思い出してる気配もない事に揃ってため息をついた。
それでも事態収拾能力と立ち直りの早さが長けているカッちゃんが、肩をすくめると亘を見ながらまず自己紹介した。
「俺は小村克美。実家は居酒屋やってる。お前とは・・・亘とは幼稚園の頃から知ってんだゼ?お前、俺の事はカッちゃんて呼んでる」
「カッちゃん?小6にもなって?」
「お前がそう呼びたがって呼んでんだろー?」
「ふーん」
亘は次にチラリと宮原を見た。宮原が両手でやれやれと言ったジェスチャーを取りながら、小さく息をつき同じく自己紹介を始める。
「宮原裕太郎。三谷とは・・・三谷くんとは、塾が一緒なんだよ。小村くんほど古い知り合いじゃないけど。小学校からだからね。君は俺の事は『宮原』って呼んでる。他にご質問は?」
「別に無いよ。じゃ、最後。君は誰?」
顎をしゃくって、美鶴の番を促す亘のあからさまな他人仕様に美鶴は胸が痛くなったけれど、それでも顔を上げて真っ直ぐ亘を見ると、はっきり言った。
「芦川美鶴。お前とは小5の夏に知り合った。お前は俺の事、『美鶴』って、呼んでる」
亘は美鶴の言葉を聞くと、小首を傾けながら目を何度かパチパチ瞬いた。
「“くん”も“さん”も付けないで君だけ名前で呼び捨てなの?・・・知り合ったの一番遅いみたいなのに?」
「そうだ」
「なんで?」
「なんでって・・・・」
改めて聞かれると、ふいにそれは何故なのか、と美鶴自身が不思議に感じてしまった。
出遭ったばかりの頃は、お互いもちろん苗字で呼び合っていた。
その後───幻界。
宮原もカッちゃんも知り得る事の出来ない、亘と美鶴だけの──あの旅の中でいつのまにかお互いをそう呼ぶようになっていたのだ。
(ワタル)
(ミツル)
現世のお互いを知っているただ唯一の・・・・同じ響きを持つ自分達の名を、いつか心の拠りどころとして。そっとその名を祈りの言葉のようにして。お互いのその名が必然となって。だから・・・。
美鶴は口を引き結び、おもむろに亘の腕を掴み自分の方に引き寄せると、物凄く真剣な声でさっきよりももっとキッパリした口調で亘に告げた。
「それは亘が俺を好きだからだ」
「は?・・・」
事の成り行きを見ていた宮原とカッちゃんは、起承転結の転までをいきなりはしょって、一気にクライマックスにまでぶっ飛んだような美鶴のその台詞に、暫し固まり動けなくなった。
美鶴はそのまま亘を動けないように、腕の中に素早く閉じ込めるとギャラリーそっちのけで、亘を強く抱きしめながら続けた。
「そして俺も亘が好きだ。誰よりも一番。だからお前は俺のものなんだ」
「え・・え?そう、なの・・・?じゃ、恋人ってこと?」
「そうだ」
「待てっ!待て待て待て待てっっっーーー!!違うだろっ!それは思いっきり間違ってるだろーーー?!芦川!お前いきなり一体、何言ってんだぁーーー?!」
「やかましい、小村黙ってろ!俺はウソは言ってない!亘はよく俺に『美鶴が大好きだよ』って、言ってくれてるんだ!そして俺は亘が世界中の誰よりも好きだ。これ以上の真実がどこにある?」
「ふざけんな!恋人って何だよ?そんなのはウソだろ?捏造だろ?大体、亘が好きってとこなら、俺だって負けるか!それにそう言う事なら俺だって亘にしょっちゅう、『カッちゃん、大好きはーとまぁく付き』って、言われてるゼ?!」
「なんだと?」
この急激な昼ドラ的展開をどのように掌握すればいいのか、さすがの頭脳をフル回転させても打開策が見出せないで居る秀才宮原裕太郎くんは、突如咎めるように自分を振りかえって来た美鶴とカッちゃんの突き刺すような視線に思わず直立不動になる。
が、次の瞬間にはその咎める視線の意味を理解して、恐る恐る告白するしかなかった。
「あ、え・・と。俺も・・・うん、まぁ。『宮原って優しいから大好き!』って、割と良く・・・・」
───────博愛精神過ぎるんだ!三谷亘くん!
涙に暮れかかった3人をよそに、美鶴の腕から逃げ出した亘の、のんきな、それでいて面白がっているような声が聞こえてきた。
「ふーん、そうなんだ。へえ、何か知らないけど面白いの!
うん、でもなんかちょっと雰囲気は思い出してきたかも。ねえ?こんな感じでしょ?」
亘は美鶴、カッちゃん、宮原に次々ぴたりと抱きついてくると、小動物宜しく頭をスリスリ寄せてきてニッコリピンクの頬で微笑んで唇に人差し指を当て、大きな黒い瞳を揺らしながら囁くようにこう言った。
「ねえ内緒だよ?あのね・・・・大好き」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3人は10カウント待たずにノックダウン。
───はてさて始まった甘くて楽しいこのゲーム、果たして攻略出来る?マジックの種明かしは出来るのでしょうか?
「あれ?お兄ちゃーん!宮原くんもカッちゃんも。何してるのー?」
さすがにこれ以上はエスケープする訳にはいかないからと秘密基地を抜けし出教室に戻る途中、一人だけ楽しそうな亘と憔悴しきった3人の前に、まるで図ったようにミニエンジェルが現れた。
どうやら喧喧轟々やってるうちに中休みの時間になっていたようだ。
「あ、アヤちゃん・・・」
「アヤ・・・?」
「芦川の妹だよ」
アヤは本当に羽が生えてるが如く、可憐にたたたっと翔けてくると、嬉しそうに4人の前に立つ。そして亘の片手を掴むとにこやかに言って来た。
「亘お兄ちゃん!この前一緒に作ったクッキー、お友達に上げたらすごーく喜ばれたの。ねえねえ、今度はケーキの作り方教えて?え、と。いつならいいかな?今日はダメ?」
腕にしがみつき、愛くるしい笑顔100パーセントでそう言うアヤを、亘も思わず頬を赤らめてまじまじ見ていたが、暫くするとさすがに少し困った顔になり、助けを求めるように美鶴の方を見て来た。
何せ、誰の事も覚えていないようだから、ごまかして返答するなどと言う小技が出来ないのだろう。(の、割には3人組に対しては妙にとんでもない事をしていた気がするが)
美鶴はかすかにため息をつくと、アヤの手をそっと取ってさりげなく亘から引き離す。
「アヤ、亘はいまちょっとその・・・あまり調子が良くないんだ。だからしばらくは無理だな」
「え?調子悪いって。どうしたのお風邪引いたの?大丈夫?」
美鶴に手を引かれ、教室に帰るよう促されながらも、心底心配そうにそう言って亘の方を振り返るアヤに、亘は膝を折ってアヤの目線まで腰を落とすと優しい声で言った。
「アヤちゃん、優しいんだね。そんなに僕のこと心配してくれるなんて。有難う。きっとすぐ治るから大丈夫」
「うん。だってアヤは亘お兄ちゃんのお嫁さんになるんだもの!」
「え?」
「だって、いつも亘お兄ちゃん言ってくれてるでしょ?『アヤちゃんは可愛くていい子だから大好きだよ』って!」
「え、あ。そ、そう。・・・うん。あはは。そ、そうだったね」
「アヤも亘お兄ちゃんの事大好きだもん!だからアヤは亘お兄ちゃんのお嫁さんになるの!」
アヤはそう言ってぴょんと跳ね、亘の首にしがみついたかと思うと、ちゅっと可愛らしい音をたて、亘の頬に小さくキスを落とした。
「早く良くなってね?」
亘は最初こそ少し驚いた顔をしていたものの、すぐに小さなアヤの背中に手を回し、妖艶ともいえるニッコリ笑顔を浮かべてその顔を覗き込むと、アヤのおでこに同じように軽くちゅっとキスを落とした。そしてそのまま小さな耳元に顔を寄せ、囁くように告げる。
「わかったよ。お嫁さんを心配させちゃいけないもんね」
────────これは一体何が起きて何事の事態?!
正直花のように可愛い二人が目の前で抱きしめあってる姿は、美鶴たちにとっては血圧上昇ものだったが、どこのタラシだという感じの亘の行動の数々には3人は憤怒よりも呆れゲージの方が高くなっていた。
「・・・・?!」
美鶴は最愛の二人が目の前で仲良しこよし過ぎる姿を繰り広げているのを、喜んでいいんだか哀しんでいいんだか、複雑すぎる胸中で見ていたが、はしゃぐ亘の後ろに一瞬、何やら黒い影が浮かんだのを見逃さなかった。
同時に自分の背後に何かの気配を感じて、バッと高速で己の後ろを振り返る。
(相変わらず・・・カンがいいんだから)
そして消え入りそうにほんのかすかだったけれど、聞き覚えのある声が耳に届いたのも聞き逃さなかった。
─────成る程、そう言う事か!
美鶴は眉を寄せ、目を細めると全てに納得したようにこぶしを握り締め、他の皆には聞こえないよう舌打ちをした。
けれど次にはその口の端をかすかに上げて、挑戦的な微笑をその顔に浮かべていた。
「お腹すいちゃったー・・・。早く給食の時間にならないかなぁ」
「この時間が過ぎたらそうなんだから、もう少し我慢しろ」
結局あの後、アヤと亘の体液沸騰もののお花ちゃん振りをさんざん見せ付けられてしまった正しい小学生男子の宮原とカッちゃんは、いい意味でも(は?)悪い意味でもすっかり気力を使い果たしてしまっていた。
そして教室に戻って、何とか形ばかり教科書を広げて授業に参加していたけれど、心ここにあらずと言った感じで放心してため息ばかりついていた。
隣の席の美鶴だけが、何やら先ほどとは打って変わって余裕のある表情を浮かべ、ずっと亘を眺めている。
「今日のメニューは何なんだろ?」
「亘の好きなビビンバ丼とフルーツヨーグルトだ。お前、昨日から楽しみにしてたんだぞ」
「フルーツヨーグルト?うわ、やったぁ。大好きなんだ!」
「良かったら俺のもやる」
「え、ほんと?」
「ああ・・・本当だ。ただ一つ条件があるけどな」
「条件?」
「お前が俺だけを一番好きだって言って、・・・・俺だけにキスしてくれるならな」
「へえ?なあに。そんなんでいいの?」
カタン!
亘はまだ授業中だというのに席から立ち上がり、ゆっくり美鶴の方に近づいてその膝の上に腰掛ける。そして耳元に顔を近づけ、美鶴の長めのサイドの髪の毛にゆっくり細い指を差し入れて、まるで愛撫するような仕草をしながら囁いた。
「キスだけでいい訳・・・?」
「な、何やってんだ?三谷!芦川!」
担任が二人のやり取りに気づいて、慌てたように大声を出した。
クラスメイト達も二人のやり取りに気づいて一斉にざわめき始める。女子生徒の間からは甲高い嬌声まで上がった。カッちゃんや宮原も何事が起きたのかと、二人をこれ以上無いくらい目を見開いて凝視していた。
「あ、芦川?」
「亘?何やってんだよ?!」
「妬かない妬かない。カッちゃん、宮原。だって美鶴がキスしたらフルーツヨーグルトくれるって言うんだもん。あ、カッちゃんも宮原もくれるならしてあげるよ?」
「はぁ?な、な、何言ってんだーー?!」
「とりあえず、うるさい外野は邪魔だな」
美鶴は呆れた様に亘を見ながら、一つため息をつくと、何事かを小さく口の中で呟き片手を大きく振り上げた。すると瞬時に周りに黒い霧が物凄い速さで現れて、教室中を覆ってしまった。
気がつけば美鶴と亘はその立ち込めた霧の中心に二人だけ取り残され、ゆっくりと対峙しお互いを見ていた。
美鶴の膝の上に居る亘が、美鶴の肩に顔を埋めてクスクス笑う。
「なあに?わざわざこんな場所作って。本とにキス以上するつもりなんだ?」
「まあな。それも悪くないかもな。ダブルと言ってもお前も亘には違いないんだし」
美鶴のその台詞に、美鶴の肩に顔を埋めていた亘はバッと顔を上げた。
そして一瞬、その表情を苦々しげに歪めたけれど、すぐに狡猾な瞳になってニヤリと笑った。
「なんだ。気づいてたんだ?」
「ついさっきな。・・・おかしいと思ったんだ。いくら記憶をなくしたとは言え、普段の亘からは考えられないような事ばかりするから。・・・お前の仕業だったんだな」
「まあねー!でもさ、言っとくけどボクが亘に入ってきたのは、アヤちゃんと会ったあたりからだよー?それまでは正真正銘記憶を無くしただけの本物の亘だったんだからね!」
「ほざくな」
「ホントだってばー!楽しい事してるからアンタも来たらーって、オンバに誘われてからやって来たんだから」
「オンバ・・・やっぱりアイツか!」
「ああ、言っちゃったぁ!」
両手を口元に持っていき、楽しそうに笑いながら亘はぴょんぴょん飛び跳ねた。
「さ、じゃあ。もうばれちゃった事だし。オンバに言われた役目果たしてボクはギャラリーに戻ってラストまで愉しんで見てる事にしよーっとぉ!じゃあね。美鶴!」
亘はそう言ったかと思うとカクッといきなり前のめりになって、美鶴の腕の中に倒れこんで意識を失った。
「亘?おい!亘に何した?」
美鶴は突然意識を失った亘に、慌てながらも咄嗟に自分の片手を亘の脇から肩に回して、支えるように抱きしめる。
するとダブルの亘とは違う、先ほどアヤの時にかすかに聞こえてきたのと同じ声の忍び笑いが、霧の向こうから響いてきた。
美鶴は声をした方をギラリと一瞥すると、その声に向かって叫んだ。
「出て来いオンバ!またふざけた真似するな。今度は何のつもりでこんな事してる?姿を見せろ!」
「あら、見せてもいいの~?」
背後から聞こえて来た声に美鶴は亘を抱えなおすと、瞬時に毛を逆立てた野性の猫の如く、威嚇したように瞳を光らせそちらを振り返った。
が。
「?!」
恐らく今の美鶴の後ろには大書きしていいなら、今度は思い切り“げっ!”と、言う文字が書かれているに違いない。
「お、おま、お前・・・・!」
「失礼ね!お前とは何よ?仮にも今のあんたの育ての親。───叔母さんに向かって!」
ニッコリパッチリ、ウィンクと投げキッスを寄越しながら。
セクシー系のパンツスーツに身を包み、微笑んで目の前に立っているのは。
どこからどう見ても芦川美鶴とその妹アヤの、うら若き美しき叔母───その人だったのだ。
「ハーイ。美鶴。どーお?体借りてきちゃった」
「何のつもりだ・・・」
「え?別にー?天敵には天敵かなーって思って」
「天敵ってなんだよ?」
「え?まずアンタはあたしの天敵でしょ?いっつもあたしの邪魔ばかりするし。で、アンタの天敵はこの女でしょ?見てるとアンタよくやり込められてるし。だったらそれ、利用しない手は無いと思って」
「・・・ふざけんな!」
「ふざけてないわよ。いっつもいっつもあたしが亘と遊ぼうとすると邪魔するくせに!
それで無くたって見てたら亘、たくさんの子に大好きとか言ってるし。そしてそれ以上にたくさんの子に好かれて、可愛がられちゃってるし!・・・・この女だってそうじゃない。ずるいわよ!皆して!
もともと亘はあたしが気に入って目をつけたのよ!だから幻界でもあんなに助けてあげたんだから!だったらあたしにだって亘を可愛がる権利はあるはずよ?そうでしょ?」
ハチャメチャな理屈をこねまわすオンバに対して、しかし美鶴はすぐに応戦態勢に入れなかった。
なんせ何だかんだいっても今、美鶴の目の前で叫んでるのはまごう事なき我が叔母なのである。姿形がそうなだけで、中身はオンバと頭ではわかっていても体が反応してくれないのだ。
「と、いうわけでね」
気が付けばいつのまにか自分の手に抱えていたはずの亘がスルリと抜け出て、そのまま叔母の姿をしたオンバの腕の中にふわりと飛んで収まっていた。
「亘!」
「もう邪魔されたり、亘に逃げられてばっかりは嫌だから、ある魔法を亘にかけることにした訳よ」
オンバは手の中の亘にそっと顔を寄せると目蓋に唇を落としながら、楽しそうに笑う。
「いわゆる再インプット魔法ていうのかしら?亘の記憶を一度白紙にして、そこにあらたに好きな相手を刷り込ませる魔法。そしてそれは亘が目覚める前にキスした相手がそうなるようにしてある訳。
現世で良くあるパターンの眠り姫を起こす真実の愛のキスって奴よ。それをした相手を亘はこの先永久に愛するようになる訳。素敵でしょう?やっぱり定番は王道をはずしちゃダメよね!」
一人納得したように、うっとりしながらそう語るオンバに美鶴はようやく事の成り行きを理解して、怒りを込めて叫んだ。
「その為に亘のダブルを使ったのか?」
「あら、そうよ。アイツもいつも退屈してるし、ちょうどいいから。亘を眠らせるのお願い、その前にちょっと遊んでいいからって、言ったらノリノリで手伝ってくれたわよ?」
「お前ら・・・」
「じゃ、そんな訳でね」
オンバは亘の顎をそっと掴むと、その顔を自分に向けた。そしてかするように頬にまずキスを落とした。
「亘、目覚めたらどんな顔するかしら。今は記憶が白紙状態だけど、キスして再インプットが完了した途端、ちゃんと過去の記憶も思い出すようになってるのよね。
美鶴の叔母さんと自分が目覚めたら、恋人同士だなんて!ねえ、ワクワクしてこない?妙齢の美女とこんなに可愛い少年のカップリングなんて!ああ、我ながらゾクゾクしちゃう」
美鶴はクラリと眩暈がした。
オンバのはずなのに発言のここかしこに、実の叔母との異様なシンクロ率を感じるのは気のせいなんだろうか。
それはともかく、美鶴は額に流れてくる冷や汗を拭う事も出来ずに、思わずブンブン首を振る。
────実の叔母と亘が恋人同士になるって?
亘を巡るライバルはあまた居れど、それこそ最強最悪最低ナンバー1の最も絶対!一番!何よりもかによりも!考えたくない相手ワースト1ではないか!(そこまで言うか)
「冗談じゃない!・・・バルバローネ!」
「あら、いいのー?ここは霧で覆ってるだけで、すぐ傍にはアンタのクラスメイト達が居るんじゃないの?そんなとこに暗黒の娘なんか召還して大丈夫かしら?」
「・・・・!」
美鶴は唇を噛むと、オンバに向かって勢いよく飛びかかった。オンバはニコリと微笑むとひらりと宙を舞って、それをかわした。
「無駄よー。何だかんだ言ってもこの姿のあたしにはアンタは本気は出せないわよ。そうでしょ?美鶴」
オンバは普段叔母が美鶴を説得する時に良く使う、メッといった感じで人差し指を立てる仕草をしながらしてやったりと言う顔をした。
美鶴は歯軋りをしながらも、どうこの場を打開したらいいのか必死に頭を回転させていた。
「もっとも、キスする以外にも亘を目覚めさせる方法無い訳じゃないけどね。記憶を無くす前からよっぽど亘が気になってるものとかがあれば、意外にそれに反応するかもしれないけど?」
オンバはそう言うとすでに勝ちを確信しているのか、余裕たっぷりにコロコロと笑った。
───気になってるもの・・・・。
「それは俺だ──なんて言わないでよ?だったら亘はとっくに目を覚ましてもいいはずなんだから。残念だけど諦めなさいね。美鶴くん?」
「ああ、確かにな。そうだったらどんなにか俺も嬉しいけど、今はそんな希望論述べてる場合じゃないしな。・・・・でも、俺自身が亘の気になってるものじゃなくても、今亘が気になってて仕方ないもののことなら、俺が誰よりもわかってる自信はある」
「何ですって?」
美鶴は自嘲的に笑いながらも、まだゲームの勝敗はひっくり返せない訳ではない、と、どんでん返しのマジックをいちかばちかの勢いで披露するマジシャンの如く華麗にジャンプした。
かと思うと、一瞬でオンバの手の中に居る亘に近づき、その耳元で魔法の呪文を唱えるようにある言葉を叫んでいた。
「亘!フルーツヨーグルト、・・・フルーツヨーグルト!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?
「さっき俺の分もやるって言っただろ?あの時はダブルが半分占めてたみたいだけど、本体のお前も聞いてたろ?
早く起きないと無くなるぞ?いいのか?俺が食べるぞ?」
「・・・・ちょっ、なっ・・!何いってんの?バカじゃないの?!そんなんで目が覚めるわけ・・・!」
オンバが憤りながら、寝ている亘を更にぎゅうっと抱きしめる。しかし寝ていて動かぬはずの亘の肩がそのとき確かにぴくりと揺れた。オンバが驚き目を瞠る。
「・・・・ふぇ?よ、ぐると・・・?ふるつ、よーぐる、と?」
え?
「・・・だめぇ。食べちゃ、ダメ・・・フルーツヨーグル・・・ト。食べる・・・食べるもん。
美鶴がくれるなら美鶴の分も、食べる・・・もん」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウソォォォォーーーーーーーーーーーーーーー?!
そこにはハムスターの洗顔スタイル宜しく瞼をスリスリやりながら、寝ぼけ眼で目を開けている亘が居た。
「亘」
「・・・くれるんでしょ?美鶴の分も食べていいんでしょ?じゃあ、ちゃんとちょうだい。ちゃんと・・・食べさせてよ」
あまりの驚きにオンバの拘束が緩んだ途端、亘はまだ寝ぼけているのか目の前に居る美鶴の方にまっすぐ両手を伸ばしてきて、ぎゅっとその首にしがみついた。
そしてすぐそこにお目当てのフルーツヨーグルトがあると思っているのだろうか。
そのまま、まるでヨーグルトを頬張ろうかとするように、ゆっくり唇を開いて・・・・。
ちゅるっ・・・。
「あ」
ぱちくり。
「あ、れ・・・?」
「目が覚めたか?・・・・亘」
美鶴は抱きついてきた亘の背中に優しく両手を回しながら、どうやらやっとはっきり目覚めて、もともとの亘に戻ったらしいその顔を微笑みながらゆっくり覗き込んだ。
「え?美鶴・・・え、あれ?美鶴の叔母さん?え、なになに!な、なんで?ここどこ?え?え?何がどうしてどうなってんの?!」
あせった様にわたわたと慌てながら更に美鶴にしがみつく亘の横で、叔母の姿をしたオンバは両こぶしを握り締めわなないていた。
「また、またもやっ・・・!美鶴・・・アンタって、アンタって・・・ほんっとにぃ・・・!」
ぱちん。
美鶴がマジックショーのラストを告げるように、亘を抱えたまま指を鳴らした。
途端に、あたりに立ち込めていた黒い霧は静かにサァァァーッと晴れていき、その場が元もとの小学校の教室の中に戻っていく。
「覚えてなさいよーーーーー!」
同時に黒い霧の彼方に消えていきながら、悔しそうに叫ぶオンバの声が木霊していた。
亘はまだ美鶴にしがみついたまま、何がなんだかさっぱりわからないと言った感じに何度も目をパチパチさせて思い切りきょとんとした顔をしていた。
「・・・・・・・何が起きてたの?」
「亘を攻略する魔法の呪文は、『フルーツヨーグルト』だったって事だな。それと・・・」
「え?」
黒い霧が晴れきる前。完全に教室がもとに戻る前。
亘は美鶴の手が優しく自分の頬に寄せられて、美鶴のきれいな星色の瞳に段々と自分の姿が大きく映し出されるのを、目を瞬く事も出来ずにじっと見ていた。
フルーツヨーグルトよりもまだまだ甘い・・・・美鶴の溶けそうな甘い甘い吐息が、静かに静かに自分の唇を覆うのを頭の芯が少しずつ痺れていくのと同時に───感じていた。
イタズラなマジック。
イジワルなからくり。
ネタ晴らしはご法度。
アナタを絡め取るマジックは、アナタにだけ種明かしを致しましょう。
───それは何よりもアナタを独り占めしたいワタシが使う魔法の呪文のようなものだから。
・・・・・・その呪文をワタシがたびたび使う事を、ねえ?許してね?
後日談。
その後、なぜか給食でフルーツヨーグルトが出る度に、やたらと亘にそれを上げたがる宮原やカッちゃんが居て、会うたびに過剰なまでに亘とスキンシップを取りたがるアヤが居て、遊びに行って亘と顔を会わせる度に『なーんか、惜しい事した気がするのよね』と、ぶつぶつ呟く美鶴の叔母が居て、そして当の亘は、そのどれもがなぜそんな風になったのかまるでわからないまま。
───────美鶴に遭うたびに今まで以上に胸が高鳴ってドキドキして、なんだか落ち着かなくなってて。
美鶴はそんな亘にたまに魔法の呪文のように、小さく「Fruit yogurt」と呟きながら、心底幸福そうに亘を微笑みながら────抱き寄せていることが多くなった・・・・らしい。
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